15章1節から16章21節
15:1またわたしは、天に大いなる驚くべきほかのしるしを見た。七人の御使が、最後の七つの災害を携えていた。これらの災害で神の激しい怒りがその頂点に達するのである。15:2またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。15:3彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。15:4主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」。15:5その後、わたしが見ていると、天にある、あかしの幕屋の聖所が開かれ、15:6その聖所から、七つの災害を携えている七人の御使が、汚れのない、光り輝く亜麻布を身にまとい、金の帯を胸にしめて、出てきた。15:7そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した。15:8すると、聖所は神の栄光とその力とから立ちのぼる煙で満たされ、七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは、だれも聖所にはいることができなかった。
第16章
16:1それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。16:2そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。16:3第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると、海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。16:4第三の者がその鉢を川と水の源とに傾けた。すると、みな血になった。16:5それから、水をつかさどる御使がこう言うのを、聞いた、「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。16:6聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」。16:7わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきであります」。16:8第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。16:9人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。16:10第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、16:11その苦痛とでき物とのゆえに、天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。16:12第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。16:13また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。16:14これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。16:15(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)16:16三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。16:17第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。16:18すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。16:19大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。16:20島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。16:21また一タラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。
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これから読もうとする所が大災難三年半の後半の時で、大災難の最後、主はお見えになって、地のぶどうを刈り集め、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ込んだ。そして、その酒ぶねが都の外で踏まれた。すると、血が酒ぶねから流れ出て、馬のくつわにとどくほどになり、一千六百丁にわたってひろがった。
神は降り臨む栄光によって、彼らを攻撃する時に、人の目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。
ゼカリヤ書14:12エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。
キリストは再来の時に、その栄光があっという間に、人の肉は腐れ、血の水に溶け、降り臨む栄光が非常に物凄い。この戦争は、伝統的な戦争と異なって、神跡による戦争であって、一般の鉄砲だけの戦争ではない。今までどんな戦争でも、すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れるということが出来る筈がない。よく上記の聖書を読めば、この人類最後の戦争には、超能力や核戦争のような預言である事が書き込まれる。
ここで、敵キリストとその軍隊が全部滅びたが、神はまだ地上の人を裁きます。羊とヤギを区別にし、やぎに罰を与える。やぎとは、大災難の三年半の時に聖徒を迫害する人である。
前では敵キリストの迫害を述べた事が有るが、貴方の右手と額に獣の印を断った時に、少しの売買でも出来ない。そして、ピカソの画を売ろうとする時に、やぎのような人間によって、裏切られて、逮捕された。やぎのような人間は主の再来の時に、無事に居られるでしょうか?この人類の最後の戦争を終えてから、主はさばきの谷で、万民を裁きます。
ヨエル書3:14群衆また群衆は、さばきの谷におる。主の日がさばきの谷に近いからである。
神はさばき谷に万民を集めるのにおかしいと思うかもしれない。さばきの谷がどれぐらい大きいでしょうか?既に計算済みのことですが、もし台湾のような全部平原の場所であれば、全世界の人々に行列のように並べれば、肩に肩を並べつと、台湾半分の面積で、十分である。この計算方法がとても簡単で、実に1平米に何人が並べるか?それに基づいて計算すれば、すぐ分かる。
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審判が終了し、さばきの谷に集まる人々がヤギに属すれば、列に並んで、全部火の池に投げ込まれる羽目になることが予見できる。これは敵キリストが滅びる後である。
この人類の最後の戦争の前に、三年半の大災難に残される七つの災害がある;即ち神は予備する七つの鉢を、地に傾ける災害である。これからこの部分を見て見ましょう;
ヨハネの黙示録15:1またわたしは、天に大いなる驚くべきほかのしるしを見た。七人の御使が、最後の七つの災害を携えていた。これらの災害で神の激しい怒りがその頂点に達するのである。
神は最後の災難―七つの鉢が地上に七つの災難を与える。神にとって、この七つの災難が一つ災難にすぎない。この七つの災難は物凄く厳しく、人類の最後の戦争の前に七つの災難が終結する。聖書では、一つの物事を述べると共に、同時に別の災難を並行的に進行する。例えば;十三章には、敵キリストがクリスチャンを迫害すると述べながら、同じ章で、神はどうやって獣の印を押さない人と獣の印を押されるひとへの裁きを述べる。この敵キリストと神の行う裁きが同時に進行するのです。
いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。額に神の印がない人たちには害を加える。言い換えれば、大災難後半の時に獣の印を押され始めるので、いなごが獣の印を押される人には害を加える。ヨハネの黙示録はこのような並行進行で物事を述べる。引き続き進みましょう;
15:2またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。
このガラスの海とは、火の池のことである。永遠の世界では、火の池の上に、ガラスフレーム貼りとなり、火の池から火の海となるので、ガラスの海と呼ばれる。「火のまじったガラスの海のようなもの」。火山噴火の時に流れてくる溶け岩で、火の池の広告のように見えるが、貴方に火の池のイメージを抱くようにさせる。現在火の池に投げ込まれる霊魂が溢れている。
サムエルが陰府から呼び召され、昇ってくることより覗くと、霊のある兄弟らは、一つの推測をし、即ち地獄にある火の池から、地上まで、その深さは約30キロメートルがあり、地下30キロメートルの所から、地獄の火の池の有る所と推測される。
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我々はウィソヴェ火山の爆発によって、流れてくる赤い溶け岩が空気に接触するので、少し黒の色に見えるが、冷却してから岩となって、大自然の火成岩である。溶け岩が地下にある時に赤くて透明で、そこに温度が高すぎるので、岩を溶けるまで焼かれ、薄黒赤い色と成り、そして液体状態のように焼き、オレンジ色にそっくりする。オレンジ色に呈する時に、透明な色となり、摂氏温度が一万度以上を超える。
所で、人が火の池に陥ってもそのまま永遠に焼かれても死ぬことが出来ないし、離れることもできない。しかし今の肉体のような痛さで、苦痛を極める苦痛である。ガラスの海とは、地下にある火の池をそのまま地上に移され、その上にガラスフレームを貼り、主イエスを信じていない人であれば、このガラスの海に永遠に入れられる。イザヤ書六十六章にあるガラスの海と聖殿が隣り合わせる。
クリスチャンは神の聖の宮にいるが、不信の悪行を持つ霊魂が火の池にいる。永世以降の万民が新月ごとと安息日ごとに、神の宮へ神を崇める。その時に、神の知識が全宇宙の至る所に満ちて、誰でも神のことを知られる。我々は今、説教する内容が完全ではないので、その時になると、もう説教する必要がなくなり、唯神を崇め、讃美歌を歌う。
イザヤ書66:23「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる。66:24「彼らは出て、わたしにそむいた人々のしかばねを見る。そのうじは死なず、その火は消えることがない。彼らはすべての人に忌みきらわれる」。
上記24節の通りにガラスの海を見ることで、聖の宮の隣にある。非常に大きい。博物館の中にショーウンドウがあると同じ様に、ガラスを通じて見たそむいた人々のしかばね、全部このガラスのうみにある。この話しが真実で、15:2またわたしは、火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。
獣に打ち勝った人;「獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。」即大災難の三年半の時に、地上に居たクリスチャンは獣に打ち勝った勝利を得る者の人である。火の試練を受け、合格出来た勝利者です。15章にある勝利者がこの三年半の大災難の中に、非常に多くの苦痛を受けた人であって、裏切られ、殺され、荒野に逃げ込んで、逮捕されても、獣に拝まない忠実なクリスチャンだった。だからこれらの勝利者がこのガラスの海の側に立つ。
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取り去られるについて幾つの言い方がるが、有る人が災難前に、有る人が災難中に、ある人が災難後に取り去られる。以上の三つには、それぞれが有るのです。15章によるのは、災難後による取り去られることで、聖書が詳しく説明される;このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。
基督教には異なる組織があって、それぞれ異なる考えを持つかもしれないが、大事なのが、貴方の考えではなく、聖書に記載される言葉である。よく聖書を読まない人が偶に聖書を読んで、起こした自分なりの考え方には自分なりの意見を述べ始めるが、述べる前に、もっと聖書を読んでください、たまにしか読まなければ、神の言葉を勝手に解釈しない方が自分の為だが。勝手に神の言葉を解釈すれば、必ず霊のある人間になれないのだ。
聖書に記載される言葉を完全に理解していない内に勝手に間違い自我意見を述べない方が良さそうです。だから、災難前や災難中や災難後に取り去られる神の預言がある。これらの人が獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々である。
では先に死んでいた聖徒は如何なものでしょうか?彼らは既に先に復活された。そして必ず、順序があって下記の聖書のとおりになる;
テサロニケ人への第一の手紙4:14わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。4:15わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。4:16すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、4:17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、次にそれから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられる。クリント人への手紙第一15:52)
取り去られるのも霊のある順序によって、違うのですが、例えば;霊のある人であれば、先に取り上げられるが、次に失敗するクリスチャンで、大災難に残される火の試練を受けて、殉道になる人が早い時期に取り上げられ、次に獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々で、合格した人が、取り上げられる。
15:3彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。
「あなたの道は正しく、かつ真実であります。」とは、聖徒を迫害する人々が火の池に入れられたので、正義かつ公義の神である主は真実である。考えて見ると、地上に居る時に、苛められ、迫害を受け、殺される、そして主が再来の時に、悪党めが火の池に投げられるのを見ると、真に気持ちが爽快ではないか?だから「万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。」
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又「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。」大災難の時に、獣の印を受け入れない時、現金売買を廃止されて、銀行の金が使えないので、自分や家族を養うために、パカソの画を売りに出す貴方であれば、まさか売りに持って行ってくれる子供が裏切られ、逮捕され殺された。そして、貴方は忠実に主の戒めを守って、いたので、主の再来の時に大災難の時に貴方の子供を殺した人が、火の池に入れられたのを見ると、勿論主を賛美します;この賛美は神の正しいさばきに関する賛美である;「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。」
兄弟達、これは一首の他人の災難を見て喜ぶ歌ではない。神の審判の結果に対する称賛であるので、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。これは、モーセ律法と言う。将来の審判の法則に基づく行うのです。
ヨハネによる福音書5:45わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。5:46もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである。5:47しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。
最後の審判の時に悪魔が火の池に投げ込まれてから、白い座が現れる。そしてモーセーは検事として現れ、この人が姦淫の罪を犯したというと、主イエスは、しかし私の宝の血が彼を許したと言われる。それで、神はよし、火の池に入る必要がない、と言う風に。主イエスは私達の見守りで、ずっと神の前で、私達の為にカーバして下さる。
「神の僕モーセの歌」のしたにある「小羊の歌」は、神の憐れみである。「あなたの道は正しく」とは、神の正しいさばきを意味し、「かつ真実であります」とは、神の憐れみの意味で、神の憐れみがなければ、我々に死亡しかない。
15:4主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」。
現世には、多くのことに、正しい裁きがないと思う人が多いだろうが、将来、神の懐にいる私達が神の正しいさばきが現れるため、神を賛美するようになる。神はイスラエル人を裁きながら、自分の産業でも言われる、聖書による説明が多いですが、特にイスラエル人は神の目の玉にもあると言う;
ゼカリヤ書2:8あなたがたにさわる者は、彼の目の玉にさわるのであるから、あなたがたを捕えていった国々の民に、その栄光にしたがって、わたしをつかわされた万軍の主は、こう仰せられる
だから誰かイスラエルにさわる者は、神の目の玉にさわるのである。
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私達とイスラエル人は対照的に如何でしょうか?イスラエル人は神の選民であるが、我々こそ霊のあるイスラエル人であるので、アブラハムの子孫であります。
ガラテヤ人への手紙3:29もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。
アブラハムは信によって、神に喜ばれる人となる。それゆえ信仰を持つ人であれば、アブラハムの足跡に従って邁進するので、アブラハムの霊のある子孫になる。アブラハムの子孫には二種類があり、一つは天の星で、もう一つは浜辺の砂である。
創世記22:17わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。
「天の星のように」とは、霊のあるイスラエル人であり、「浜べの砂のように」とは、肉体のイスラエル人であるが、これらイスラエル人が主への信仰を持っていない。兄弟達、もし誰か貴方を苛めるとしたら、神を苛めると同様に、同じように、もし貴方が兄弟の誰を苛めたら、神を苛めると同じ様になる。
まだパウロ(当時サウロと呼ぶ)がダマスコへ行く途中で、主イエスに出会った当時にある主の栄光を覚えていますか?
使徒行伝9:1さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、9:2ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。9:3ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。9:4彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。9:5そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
当時、パウロはクリスチャンを迫害する時に、主イエスは特に天に昇って、御座にいますが、パウロはどうやって主イエスを迫害するのでしょう。その時主イエスは言われた;「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」。要するにクリスチャンを迫害することによって、神を迫害すると同等な意味合いを持つのです。
だから前にある「万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。」と言う意義は、その裁きの日になると、神の正しいさばきと真実の審判は私達に楽しく気に入ることを感じさせる。
もし 詩篇・イザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書が好きであれば、読んで見てください。神はバビロンに対する審判が、バビロン帝国がイスラエルを迫害したからである。イスラエル人やクリスチャンを苛めることが簡単に済むと思わない方がよさそうですが、その内に神は十倍や百倍以上の代価を取り戻して下さるのです。
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も一度読みましょう;15:4主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」。
上記の予言が、近づいている、特に主が再来の三つの象徴をする部分を見ましょう。
第一の象徴;この御国に福音は、全世界に宣べ伝えられるであろう
マタイによる福音書24:14そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
今日は全世界に述べ伝えられるのがキリスト教のみである。
第2の象徴;敵キリストが自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。これも近付いた。
テサロニケ人への第二の手紙2:3だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。2:4彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
敵キリストはロマ帝国の七人のシザの内にある一人である為、ロマ帝国が必ず復興するようになり、彼和即ちダニエル章による四大帝国の中にある最後の帝国。その足の指の一部は鉄、一部は粘土であったように、鉄と粘土との混じった国を見られなければ、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕くことができないであろう。
ダニエル書2:45一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕いたのを、あなたが見られたのはこの事です。大いなる神がこの後に起るべきことを、王に知らされたのです。その夢はまことであって、この解き明かしは確かです」。
人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕くことによって、バビロン・波斯・希臘・ロマの四大帝国を砕くのです。ロマ帝国は、1453年に滅亡され、国が分裂されてからの鉄と粘土との混じった国が各種部族国家によって融合されたのです。人手によらずに山から切り出される石とは、神のさばきを指すので、この混ぜた鉄と粘土を打つ砕いてから、主はお見えになる。
敵キリストが聖の宮に進むので、勿論その足も既に出現した。要するに復興のロマ帝国が現れることになる。そして必ず、1453年に滅亡したロマ帝国の版図―元の土地、元の国民、地中海の周りで、復興する、それが今のヨーロッパである。
ヨーロッパは2010年の現在では、全加盟国には27国家があり、これからどんな変化しても、最後に十け国となり、半分鉄、半分粘土のロマ帝国に変わる。ヨハネの黙示録によって、17:13彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。
2003年にて、欧州議会が開始され、2010年に、連合主席が就任した。それに続き、敵キリストの出現となるので、もう人類の最後の一週により近づきます。
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主が再来前の三つ象徴;聖殿再建;
敵キリストが聖の宮に侵入し、神の宮に座して、自分は神だと宣言するので、神の宮を再建されなければならない。神の宮の再建に付き、必ずイスラエル人に依らなければならない。しかしイスラエル人は約二千5百年前に既に亡国したので、どうやって聖の宮を再建できるかしら。それで、神のみわざにより、イスラエル人が1948年にて、聖書の預言(約2800ん得前の預言)の通りに再建できた。イスラエル人が復国でき、そして、聖の宮の場所―東エルサレムも1968年で、回復が出来た。しかしイスラエル人は旧約聖書の教えの通りに犠牲と供え物の行事を行うので、その必要な祭司―アーロンの子孫達で、祭司の職務を担当することによって、正式に神の宮での崇めの儀式が回復されるとなる。神の宮が完成し、犠牲と供え物の行事を行ってから、敵キリストが神の宮に侵入するような聖書の預言である。
以上に述べた三つの象徴の通りに人類の最後の一週に近付く時に、以上の三つの象徴が順序に実現される。
歴史学者も含めて、自国の歴史を含めて、世界のどの国でも、一旦500年以上も滅亡したら、世界史で、再復興の国が有る筈がない。しかしイスラエルが2500年前で、滅亡したが、2500年後に再建国ができた。に音源で言えば、奇跡で、実に心霊の目が見える神のみわざであることがいうまでもありません。以上の三つの象徴の出現も私達の世代に現れた。特に、1.中東戦争;イスラエル対アラビア集団の戦争について、その原因が聖の宮の再建に一点張りである。今も戦争の結末を迎える段階に来ている時期である。2.欧州連合主席の誕生、敵キリストの出現も最終段階に近づく。3.前世界の教会はこの二千年の福音述べ伝え運動も完成段階になる。この三つの繋がりによって、主の再来につながる。本当にそうなるでしょうか?と疑う人がいると思いますが、真実が証明する。
15:6その聖所から、七つの災害を携えている七人の御使が、汚れのない、光り輝く亜麻布を身にまとい、金の帯を胸にしめて、出てきた。15:7そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した。
地上に有るものが天上にもある。元々天上に有るものによって、地上の者が作られたものである。
「天にある、あかしの幕屋の聖所が開かれ」とは、至聖所が開いたとの意味です。今の世界には公義がなく、神の審判が来ていない。天上にあるあかしの幕屋の聖所が開かれたら、神の公義が現れる。これは非常に恐ろしいことですが、十の戒めの第一条;あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。第一条に合格できる人が少ないでしょう。
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聖書による、他の神を選ぶ者は悲しみを増す;
詩篇16:4おおよそ、ほかの神を選ぶ者は悲しみを増す。わたしは彼らのささげる血の灌祭を注がず、その名を口にとなえることをしない。
ここで言うほかの神とは、必ず偶像とは言わない、お金や他の人や物事等を含みます。神を愛するというよりも、更にほかの者を愛する。こう言う心や気持ちがいけない。
マタイによる福音書10:37わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしにふさわしくないとは、非常に厳しいことである。
十の戒めの第一関門に合格出来ない人が地球総人口の3分の2以上に上る。
第一条;あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
引き続き;
第二条;あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
これまた大勢の人が落ちた。
第三条;あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
第四条;安息日を覚えて、これを聖とせよ。
神の戒めが守られる人がどれぐらいいるだろう?神の憐れみがなければ、誰も立っていられない、全部滅亡になる。
神の箱は創世記から、開かれた事がないが、神には神の正しいさばきがあるので、貴方にはよくわからないだけですが、大災難時に、それが現れる。神の箱が現れてから、さばきにうつるので、「その聖所から、七つの災害を携えている七人の御使が、汚れのない、光り輝く亜麻布を身にまとい、金の帯を胸にしめて、出てきた。」 そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した。
神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢は、七つの大きい災害である。
15:8すると、聖所は神の栄光とその力とから立ちのぼる煙で満たされ、七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは、だれも聖所にはいることができなかった。
全地球の人類に人の血を流す罪を裁くために、神の激しい怒りが現れる。七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは、だれも聖所にはいることができなかった。
引き続き、16章を読みましょう;
16:1それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。16:2そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。
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この「獣」とは、敵キリストのことである。彼は出現し、像をつくって、人々を拝ませるだけではなく、獣の印を押される。ここを読んで、覚えて下さい;もし 獣の印を押されたら、像を拝めば、貴方に多くの災難と恐ろしい事が臨むであろう。この時期に人類の最後の戦争はまだ起こっていないが、七つの鉢を地に傾け=七つの災害の時期に、神は悔い改めの知らない地上の人々を裁き、これらの人々がエジプトの法王のように堅い。
覚えて下さい;第一の者の鉢が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。非常に苦痛であった。
16:3第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると、海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。
第二の者の鉢を「海に傾けた」。海は死人の血に変え、海の生き物がみなしんでしまった。
16:4第三の者のがその鉢を川と水の源とに傾けた。すると、みな血になった。
第三の者の鉢を淡水の上に傾けたことによって、人類には飲む水がなくなり、初日に飲まなくて、翌日は飲まなくて、翌々日に、第4日……どうする?水を飲まないと死んでしまうが、飲むと気持ちが悪くなって、吐きそうになって死んでしまう。
16:5それから、水をつかさどる御使がこう言うのを、聞いた、「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。16:6聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」。
これらの人々は多くの聖徒と預言者との血を流した為、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります。
16:7わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきであります」。
先ほど15章を述べた神の正しいさばきと真実を賛美すると同じ意味である。
引き続き、第四の鉢をみましょう
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16:8第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。16:9人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。
第一の者の鉢が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。非常に苦痛であった。第二の者の鉢を「海に傾けた」。海は死人の血に変え、海の生き物がみなしんでしまった。第三の者の鉢を淡水の上に傾けたことによって、人類には飲む水がなくなり、初日に飲まなくて、翌日は飲まなくて、翌々日に、第4日……どうする?水を飲まないと死んでしまうが、飲むと気持ちが悪くなって、吐きそうになって死んでしまう。
人々にこの三つの災害が既にとてつみなく苦痛を与えて、生きると言うよりも死んだ方がましだと思うが、更に四つ目の鉢の災害によって、温度が急激に高くなって、焼かれるような暑さで、苦痛に苦痛で、水式のクーラも壊れてしまえ、役に立たないクーラとなる。体にひどい悪性のでき物ができて、喉が渇き、更に熱い日々で、苦痛を重ねる。
あの時のオーブンも役に立たなくなり、部屋の内外ともオーブンのような暑さで、汗がビッショリだが、冷たい水だけがない。
人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。
これらの人々が依然として悔い改めない堅い心を持つので、本当に愚かなものではないか?
16:10第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、16:11その苦痛とでき物とのゆえに、天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。
この苦痛が悪性のでき物と暑さによるもので、苦痛のあまり舌をかみ、苦痛を軽減させる。又黒闇になり、本当に苛めですよ。
16:12第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。16:13また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。16:14これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。
第六の者の鉢が傾けたら、大ユウフラテ川が枯れてしまった。日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、作者の見方によると、人類の最後の戦争の通り道である。幼?拉底河跟底格里斯河。
イスラエルを攻撃する為に、地上の連合軍がこの道を通過し、中央アジアにはいり、ルマゲに集まる。
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「第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。」「また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。」サタンの一味が全部出現して、全世界の国を惑わし、イスラエルに総攻撃を仕掛ける。
16:15(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)
この三つの悪魔の邪霊が、全世界の王を惑わしながら、神の大いになる日で、戦争を行う。なぜなら( )のようなしるしをするのか?即ちあらゆる国の王が集まって、イスラエルを攻撃する。言い換えれば、主の再来のことを述べる。だから、地上の王らが戦争に集まって、神の御使いらも臨み、両軍がルマゲで相遇し、神の御使いらが悪魔らを消滅するのです。
今時、教会に仕えて、仕える果実も自分いついてくる。その日に、両手空っぽで、主に拝みに行くことがないように、出エジプト記34章:20節;ただし、ろばのういごは小羊であがなわなければならない。もしあがなわないならば、その首を折らなければならない。あなたのむすこのうちのういごは、みなあがなわなければならない。むなし手でわたしの前に出てはならない。
言い換えれば15節による述べる別のことを指すのである。その主な意味は:地上の諸々の王が連合し、イスラエルを攻撃するが、神と御使いは空中から臨もうとする所である。神の家のさばきが完了し、勝利を得る者が主と共に地上のオリブ山に臨みます。エルサレムより七、八キロメートル位の距離である。そして、100キロメートル離れるルマゲの敵キリストらにに対峙する。これは人類最後の戦争ハルマゲドンとなり、即ち第六の者の鉢が傾けた時に起こった。
16:16三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。
この「ハ」と「ドン」は空の文字で、その名がルマゲ戦争と言います。要するにキリスト対敵キリストの戦争である。
16:17第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。16:18すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。16:19大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。16:20島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。150
この激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。しかも島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。地震による島まで移動され、山も崩れるほどの大地震である。なぜ人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であったでしょう?原因は、地上に聖徒がいませんでした、すべて取り去られたためであった。地上に残るのは神のことを信じていない異邦の民だけで、滅亡されてもおかしくない。 だから神の審判は、第七の鉢を傾け、史上最大の地震を起こさせ、そして多くの人も死ぬことになる。
この「大いなる都は三つに裂かれ」とは、エルサレムのことをさすのであるが、諸々の城も裂かれたのが、間違いない。島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなって、人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。恐らく地震や津波によって、多くの島の国が消えてしまい、台湾島やハワイが消える可能性が大いにある。この大地震により、地球の構造に変化をあたえる。
16:21また一タラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。
地震が終えてから、余震が続くが、部屋より逃げ出す人が一旦外に出ると、一タラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた。その大きな雹に衝かれると、あっという間に血の水となり、車に隠しても、衝かれたら、車ごとぺちゃんことなる。一タラントの重さとは、45キロのことで、この45キロのに衝かれる道路や車や部屋など、殆どくずれていくであろう。
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