聖書ヨハネの黙示録講義ー目録へ

読み方のお導きの三ー終わりの一週―将来にわたって、必ず成る事


聖書ヨハネの黙示録講義ー(上)作者:呉明憲兄弟 


  ヨハネの黙示録の第四章から二十章まで、話しているのはダニエル書の『終わりの最後の7年』である。即ち主はダニエルに仰せられた.あの『七十週の七』で、七十週の最後の一週の七年である。ダニエル書9;24あなたの民とあなたの聖なる都については,七十週が定められている.それは,そむきをやめさせ,罪を終わらせ,咎をい,永遠の義をもたらし,幻と預言とを確證し,至聖所に油をそそぐためである.だからこの『七十週の七』は、特にイスラエル人とイスラエル聖の宮を指すのである。

 前の「七週の七」は、神の宮の再建、続いて「六十二週の七」は、即ち第六十九週が終える時期に、イエス・キリストは既に地上から取り除かれる。続いてきつく〉地上にイエスキリストは取り除かれた後に、異邦の民への福音を延べ伝えに切り替えられ、神の恵はイスラエル人からはなれていった。そこで六十週の七と末最後の一週の間に、教会時代に割り込みヨハネの黙示録による今の事を述べることに入った。

 2千年にわたる長い歳月の教会時代を経て、ヨハネの黙示録による「今の事」とも言うが、過ぎ去ってから、神は、異邦の民向けの歳月も止まり、そしてダニエルに仰せられた.あの『七十週の七』の時代に入り、即ち将来必ず予定されることを完成するのである。ここにある『七十週の七』とは、は、大抵三つの段階に分けて、所で、ダニエル書によると何を語られるでしょうか?

 ダニエル書9;24.あなたの民とあなたの聖なる都については,七十週が定められている.それは,そむきをやめさせ,罪を終わらせ,咎を·い,永遠の義をもたらし,幻と預言とを確證し,至聖所に油をそそぐためである.25.それゆえ,知れ.悟れ.引き揚げてエルサレムを再建せよ,との命令が出てから,油そそがれた者,君主の來るまでが七週.また六十二週の間,苦しみの時代に再び廣場とほりが建て直される.26.その六十二週の後,油そそがれた者は斷たれ,彼には何も殘らない.やがて來たるべき君主の民が町と聖所を破壞する.その終わりには洪水が起こり,その終わりまで戰いが續いて,荒廢が定められている.

 『一つ目の段階で最初からの「七つの七年」で、即ち、エルサレムを再建せよ,との命令が出てから,再び廣場とほりが建て直される.』これは第一段階の49年である。これが紀元前454年に起こったことですが、ペルシャ王アタセシは、エルサレムを再建せよ,との命令が出てから,ここで注意すべきなのは、聖の宮と聖の都の事をかき混ぜないように、聖の宮の場合、ペルシャ古列王の時に聖の宮を再建せよ,との命令が出た。

聖の宮は再建されてから、まだ聖の都があり、エルサレムを再建せよ,との命令が出すのは、ペルシャ王アタセシである。

二つ目の段階の「六十二週の七」であることを引き続き、『油そそがれた者は斷たれ,彼には何も殘らない.やがて來たるべき君主の民が町と聖所を破壞する.その終わりには洪水が起こり,その終わりまで戰いが續いて,荒廢が定められている.』

七つの七プラス六十二個の七の合計は六十九個の七であり、即ち、エルサレムを再建せよ,との命令が出てから、主イエス・キリストは十字架に釘付けされてから丁度483年になる。483年―紀元前454年=紀元後29年になる。この時、主イエスが十字架に釘つけられた年だった。
47

  注意してください、歴史の記載によって、主イエスは紀元4年で誕生し、元来主イエスが生誕した年を(西暦)元年を定めるがただし 紀元の推測誤差は4年の開きがあるので、紀元29年に主イエスの実際年齢は33歳半となる。全て預言した通り、六十九個七の後、イエス・キリストは取り除かれることが予言通りとなった。第3段階は「終わりの一週」で即ち第70週の七である。最後の七年で、前半と後半に分かれる。前の三年半は敵キリストの現れによって、、ちヨーロッパ共同体のの出現である。これも七つの封印のうちにある六つの封印を解いた時、後の3年半では第七つの印を解いてから入り、人間が大災難に入ることになる。

「最後の一週」のスタートを切る時、恵の福音のドアも閉めようとする。イスラエルに対した予言を見ましょう。主イエスは十字架に釘付けにされた後、イスラエルの運命は如何なものか?

 ダニエル9;26.その六十二週の後,油そそがれた者は斷たれ,彼には何も殘らない.やがて來たるべき君主の民が町と聖所を破壞する.その終わりには洪水が起こり,その終わりまで戰いが續いて,荒廢が定められている.

  ですので、主イエスを十字架に釘つけられる時、大勢の民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが,イエスのあとについて行った.しかしイエスは,女たちの方に向いて,こう言われた.「エルサレムの娘たち.わたしのことで泣いてはいけない.むしろ自分自身と,自分の子どもたちとエルサレムのことのために泣きなさい.私のために泣いてはいけなくて、あなたたちのための子らやエルサレムのために泣くべき』。

  ルカによる福音書二十三章27.大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが,イエスのあとについて行った.28しかしイエス は,女たちのほうに向いて,こう言われた.「エルサレムの娘たち.わたしのことで泣いてはいけない.むしろ自分自身と,自分の子どもたちのことのために泣きなさい.29なぜなら人が,『不妊の女,子を産んだことのない胎,飮ませたことのない乳房は,幸いだ.』と言う日が來るのですから.

  西暦70年で、ローマ帝国の太子テイトは大軍団を率いて、聖エルサレム、聖殿を破壊分解した。タンイリ
  ダニエル書九章26.の預言が的中した、その後ユダヤ人が世界の至る所に分散されて行かれた。

次にエゼキエル書十一章16.それゆえ言え.『神である主はこう仰せられる.わたしは彼らを遠く異邦の民の 中へ 移し, 国々の中に散らした.しかし,わたしは彼らが行ったその国々で,しばらくの間,彼らの聖所となっていた.』
 これも予言の通り、現実となった。2500年後、紀元1948年、イスラエルは元のカナンの地に戻れて国を再建できた。主イエスは十字架につけられに当たって、第六十九週の七、もここまで終焉を迎えます。全体の『七十週の七』も暫くここで中止することになる。

 ダニエル書924.あなたの民とあなたの聖なる都については,七十週が定められている.
 この七十週の事は、イスラエル人の為に設定されるので、この預言もイスラエル人の為に述べたのです。

 荒廢が定められているとは、イスラエルの荒廃を意味する。戦争を争うのも、イスラエルの戦争を指すことで、これは同じように聖の都エルサレムを指して話したのである。。

  やがて來たるべき君主の民が町と聖所を破壞する.その終わりには洪水が起こり,その終わりまで戰いが續いて,荒廢が定められている.イスラエル人が世界の至る所に分散されてから、ずっと追い殺され、追撃を受けていた。そして「その終わりまで戰いが續いて,」特に第二次世界大戦で、600万人も虐殺された。

48

 その終わりまで戰いが續いて,荒廢が定められている.ずっと主は再来の時まで。歴史の証明によると、どこの民族が2554年間にも亡国されたが、まだ戰いが續いているのがあるのか?いまでは誰か千年前の殖民地を攻撃するだろう?もう一つの言葉、それは「荒廢が定められている.」

 イスラエルの荒廃を言いましょう;イスラエルは1948年復国の時にカナンの美しい地もすでに砂漠化され、誰一人のイスラエル人もすんでいなかった。当時のカナンが『乳と蜜の地を称す』、結局「荒廢が定められている.」というふうにされた。歴史に照らして勉強すれば、さすがにこの言葉の預言の通りに、イスラエルに関する2千年あまりの歴史過程を完全にその荒廃の通りとなった。

 主は言われた;その終わりまで戰いが續いて,荒廢が定められている.「終わりまでとは、世界の終わりの日と言うが、1948年で、イスラエルが国を再建された時に、この「終りまで」の予言が本当に身に滲みるほど見えるようになった。

 マタイによる福音書24;32いちじくの木から,たとえを學びなさい.枝が柔らかになって,葉が出て來ると,夏の近いことがわかります.33そのように,これらのことのすべてを見たら,あなたがたは,人の子が?口まで 近づいていると知りなさい.

 主は既に?口まで近づいている、そして、戸口の中に入ろうとすることろで、今は鈴を鳴らして、鍵を差し込んでこんで、入ろうとする。兄弟達は、現在はすでに最後最後の時間に到達した。その終わりまで戰いが續いて,荒廢が定められている.それでは「七十個七」の最後の七が出現するとしよう。ダニエル書9;27彼は一週の間,多くの者と堅い契約を結び,荒らす忌むべき者が翼に現われる.ついに,定められた絶滅が,荒らす者の上にふりかかる.」

荒らす忌むべき者が翼に現われる.」とは、敵キリストを指すもので、1週の間に多くの者と堅い契約を結び、これこそ敵キリストである。言い換えれば、主イエスは十字架に釘つけられてから、69個7が済んでから、最後の一つの7が残っている。

「一週の間,多くの者と堅い契約を結び,」、これは末七の前三年半で発生する、「半週の間,いけにえとささげ物とをやめさせる.」これが末七の後半3年半で起こる。

いけにえとささげ物.とは、主を敬拝し、ささげ物を供える。これは聖の殿の中で仕えることで、別の祭壇での仕えが許されないが、別の祭壇で祭を献上するとそれが丘の壇を言う。列王記、歴代の志の中によくある話しは『ただ丘の壇はまだ撤廃されていない。』。

主を敬拝し、ささげ物を供える。これは神の宮の中で仕えること、これが主は定めた律法で、それではいけにえとささげ物.と言うことを述べると、聖殿が既に完成したと意味する。聖の宮は再建させて、すでに終わりの一週のうちにある前の三年半で、起こるが、旧約ダニエル書の預言によって、イスラエルは前3年半で祭祀を既に回復するという。後の三年半で、敵キリストはイスラエル人による、聖の宮で行う祭りを許さなくなるので、「いけにえとささげ物とをやめさせる」といわれる。
49

 この聖書の言葉ではイスラエルの復国を説明していないが、ただしの聖の宮は再建させなければいけなくて、まずイスラエルとしては復国をしなければいけない。

 聖書にある預言によって、聖の宮はイスラエル人からたてなおさなければならないので、その上、イスラエルのレビ部族でないといけない。ようするに神によって、指名された大祭司アロンの子孫こそ祭司となれる。

だから聖の宮が再建させると言えば、イスラエルは必ず国を回復しなければならないし、、東エルサレムも必ず取り戻さなければいけない。だからこの聖書の言葉をする時、神は同時に私たちにを東エルサレムはすでに取り戻して、イスラエルはすでに復国したと教え頂きました。

再び主イエスは十字架につけられる時、第六十九個七が終わる時期に戻しましょう。五旬節の日になって、みなが聖靈に滿たされ,教会時代もこれから始まるようになり、この教会時代は第六十九個七週と末の七週の間に誕生された。

主の後に、紀元29年の時、およそイエスキリストは、よみがえて、四十日の間,彼らに現われて,そこで,彼らは,いっしょに集まったとき,イエスにこう尋ねた.「主よ.今こそ,イスラエルのために國を再興してくださるのですか.」これらの使徒たちはユダヤ人で、もっともの関心な事がイスラエルの再興であるが、イエスの復活を目の前にして、神の権能に溢れるから、主イエスさえ言えば、ローマ皇帝もすぐなくなり、イスラエルの国を再興することができるだろうと思うが、主はどういうお答えでしょうか?

 使徒行伝1;6.そこで,彼らは,いっしょに集まったとき,イエスにこう尋ねた.「主よ.今こそ,イスラエル のために國を再興してくださるのですか.」7.イエスは言われた.「いつとか,どんなときとかいうことは,あなたがたは知らなくてもよいのです.それは,父がご自分の權威をもってお定めになっています.

もし主イエスは、当時、すぐ彼らに後2000年後イスラエルはやっと国を回復することができると教えれば、これらの人が必ず大いに落胆して絶望するか?彼らはまだ歩いて下りることができるか?

ですから、主は又言われた。使徒行伝1;8.しかし,御靈があなたがたの上に臨まれるとき,あなたがたは力を受けます.そして,エルサレム,ユダヤとサマリヤの全土,および地の果てにまで,わたしの證人となります.9.こう言ってから,イエスは彼らが見ている間に上げられ,雲に包まれて,見えなくなられた.

主は使徒に言われる言葉が非常に奇妙で、彼らはでエルサレムから開始し、ユダの全地、再びサマリヤまで、最後は地の極に到達し、主の為に主の見証をしなければいけない。この予言にも今になって実現された。『地の極に至る』か?中東から台湾までだけで、すでに非常に遥かで、しかし今福音がすでに南極と北極、エスキモー人さえもイエスをしんずるようになった。

エスキモ人は羊を見たことがなかった、あんなに寒い場所にいるので...羊は生存不能です。彼らはただ犬を持つので、彼らの文字には同様に犬だけがあって、羊がない。聖書の中に子羊を話して、彼らについて言って、翻訳できる字はできなくて、そこで『大きい耳の犬』という語を作って、これは即ち彼らの『羊』の字。主の権威を賛美し、不思議でありながら、福音はこんなにエルサレムから至る所まで、各世代の伝道を経て、地の極まで伝えた。
50 

  イエスは彼らが見ている間に上げられ,雲に包まれて,見えなくなられた時、六十九個七週が止めてしまって、教会時代が始まって、今になって2千年を経過した教会時代は先ほど述べた黙示録第2章と第3章の内容である。

2千年の教会時代は終りに当たって、最後のひとつ7週がすぐでも来るようになる。末の七週では、2件の用事が起こ予定で一週の間,敵キリストは多くの者と堅い契約を結び,半週の間,いけにえとささげ物とをやめさせる.兄弟たちは、タンイリの七十個七週による話では、タニエル書9;24あなたの民とあなたの聖なる都については,七十週が定められている.述べる内容は再び廣場とほりが建て直されるや聖なる都は荒廢が定められる.これはもう実現された。そして続いて聖なる都の再建、その後聖の殿を再建するようになる。

ですから、「一週の間,敵キリストは多くの者と堅い契約を結び,」この同盟契約の主な内容は、イスラエル人に聖の殿を再建させるようにする。

アルカイダのポンラピンにとって、なぜニューヨーク・マンハタンの二つのタワを飛行機で破壊させた?アメリカとアラビア国とはどこかに仇を結んだのですか?実にいうと、アメリカはイスラエルの東エルサレム・ユダ人の聖なる都に肩を持つことです。アラビアはこのように反発され、東エルサレムは同様にイスラムの教聖地でもあるので、全世界が最も大きいモスクはあそこに建てられ、イスラム教全体の世界精神の指標で、誰でもそれを壊してしまえば、すぐでも戦争がおこることになる。

それゆえアメリカ政府はイスラエル総理のシャロンをアメリカへ寄越して、アラビアの平和協議を調停するが、シャロン最後は彼のレッドラインを提出され、第1、イスラエルはパレスチナ非武装の建国に同意する、第2、アラビアは東エルサレムをイスラエルに帰す。このような条件を交換にする昔のふるくさい内容は、依然として合意できない。アラファトにしてみれば同様に東エルサレムを放棄したいと考えて、そうなら彼はすぐ国家、領土があって、それから王として君臨できるし、よかろうではないか?しかし、これは全体イスラム教世界の問題で、ただ一つのパレスチナだけで、勝手に動けない。

事実上イスラエルは第6回中東戦争によってその後に、すぐ東エルサレムを占拠したが、どうしたかこの一線を譲れなかった。彼らは聖の殿を再建したいから、その外に何でも相談し易いが、聖の殿は東エルサレムで再建しなければいけない。この3、40年ほどは東エルサレムに今ひとつ均勢を維持している。両方のどっちでもそれを放棄しなくて、絶えず協議するが、ただし合意に達することはありませんでした。アラビアには石油が発見されてから、非常に強大に変わった。それで、イスラエルは背後にアメリカにもたれている支持で、やっとアラビアを相対峙できる。

アメリカには余計な権勢のあるユダヤ人がいて、アメリカ大統領選挙の経費は多数がユダヤ人から選挙資金を応援してくれるので、ユダヤ人はアメリカの政冶と経済を制御し、だから彼はイスラエルを支持するべし。

こんな情勢下に、イスラム教世界のテロリズムはすでに日に日に高まって、極端にアメリカがイスラエルを支持することを痛恨し、アルカイダのポンラピンはニューヨーク・マンハタンの二つのタワを飛行機で破壊させた原因がここにある。

51

  実は主イエスが二回目に降臨の時に本当のミレニアムの開始です。あれは、なぜ皆で?ミレニアムを全地で大騒ぎされるでしょう?

ペテロ2章3;8しかし,愛する人たち.あなたがたは,この一事を 見落としてはいけません.すなわち, 主の御前では, 一日は千年のようであり,千年は一日のようです.初めに,神が天と地を六日間にかけて創造した.神はその第七日目を祝福し,この日を聖であるとされた.それは,その日に,神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである.アダムからイエス・キリストの降臨までは4千年で、そしてイエス・キリストから今日までは2千年であり、合計で6千年になるが、「一日は千年のようであり,千年は一日のようです」から見れば、この六日も既に過ぎ去ろうとしているが、七日目は聖安息日ですので、第七千年が即ちミレニアムです。だから聖書によって、私たちは第7千年がミレニアムであると知る。

7日の間には、1日の聖安息日があって、七年の間には、1年が喜の年で、耕作不可で、1年間は仕事しないように、人は憩いを求めて、地も憩いを求めて、家畜は休まなければいけなくて、地上には野生の全部作を貧乏人や野獣に残しておかなければならない。

これ以外にも、それぞれの七個の七年を経過すれば、そのとおりの49年後に、あの50年目に大きい喜の年で、以前に買ってきた全部の土地は、旧所有者に土地を返さなければいけない。イスラエル人の土地は永く売れることができなくて、これは最も物凄い平均の土地所有権です。当初、神はイスラエル人をカナン美地に連れ込んだ時、各支派に充てる土地が平均的に図り、すべての人はくじを引いて決定する、地位の大小にも拘らず、誰でも同等の産業を持つ。よくヨシュア記を読んでみてください、これこそ「平均の土地権利という」

ただし貧乏の人はお金が尽きて地を売ることができるが、日が立たないうちに、不動産業者は、土地を買占め、土地の値上がりによって、巨額の儲けをしたが、土地を売って払った人には、貧しくなって、食えなくなる人も居るようで、最初の「平均の土地権利という」平均も平均ができなくなり、このような社会問題も繰り返して発生する。

しかし 主はイスラエル人に対し、定めた律法は、五十年目になると、すべて買ってきた土地を全部元土地を売却する人に還さなければいけなくて、土地の永く買い占めることができない。ここの聖書を読む時に、私が非常に驚き、三千年余り前から既にこんな政策があるとは、歴代各国制度を調査すればするほど、この制度の物凄さに実感する。

聖書の話によると、七年の間には、1年が喜の年で、それぞれの七個の七年を経過すれば、そのとおりの49年後に、あの50年目に大きい喜の年があるが、もっと大きな喜の年があり、それは七千年で人類が今まで経験したことがないミレリアムである。

 ミレニアムの定義は、主イエスからの再来後の開始であり、しかし現在の到る所ではすべてミレニアムの話題を占めていた。

 ミレリアムとは、1年中に、耕作や仕事をしなくて、ミレニアムは千年に渡り、耕作や仕事をしないのです。1千年の歓喜や快楽がこのミレニアムはまもなく来る。

1999年の時、地球上のどこにもミレニアムの話題ばかり集中していた。一般的に紀元2000年の一年だけでミレリアムだといいますが、実際的に紀元2000年からミレリアムであり、紀元3000年までの1000年の間に毎日聖安息日という。

52

  ミレリアムは「聖書のヨハネの黙示録の19章9節にある御使いは私に小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ,と書きなさい.」と言い,また,「これは神の眞實のことばです.」と言った.同時に勝利を得ていないクリスチャンが千年火の湖を経歴することになるだろうこの重大なできごとは間もなく到来になるが、1999年に、まったく聖の殿は再建させることができる気配が感じられない。

「一週の間,敵キリストは多くの者と堅い契約を結び,半週の間,いけにえとささげ物とをやめさせる.」

もしこの聖書の言葉の通りに運ばなければ、ミレリアムのような出来事が永遠に起こらないが、結果的に私たちはアルカイダのピンラテインの事が見えて、聖書預言のヨーロッパ連合の勃興が見えてきた。間もなくミレニアムがすぐでも到来と知っていた。主の再来には、真ふたつのオーバーライドの奥義がある。ひとつがヨーロッパ一十の国が復興し、ローマ帝国に変身することで、別にもうひとつが聖の殿の再建です。

ヨーロッパ十の国が復興し、ローマ帝国に変身することがもう見え始めたが、ヨーロッパ連合の開始は「マスツヘイカ条約」、マスツヘイカ(馬斯垂克)という処で、この条約を結んだので、媒体が地名を含めてこのような称号を呼びたが、実は実は馬斯約の表紙にある原文は『ローマ条約』で、だから将来ヨーロッパ連合はきっと国号を変えて『ロ帝国ーマ』を作ることができる。彼らの本当に建設されたいのは、再度全世界を統治できるようなローマ帝国を復活させるが、ただこの声はまだ出て来ていない。但しこの復興するローマ帝国は、必ず出て来るのは間違いがありません。

前の話しのように、第69個の七週と末の七週の間に、突っ込んだ一つの教会時代は、恩典福音だけである時代。だから全部の『70個の七週』の垂直画面は「七個七週」「六十二個週」「教会時代」「末の七」。

私たちは聖書を読んで、末の七週の前三年半で、真っ先に歴世歴代ではすでに死んだ聖徒が復活し裁きを受ける。勝利を得る者が千年国に入り、失敗したクリスチャンが千年の暗さに入り、或いは地獄の火の湖の裹に行く。

続いて地上に生きている勝者を直接に提げられる。彼らは地上の試験に合格したら、ここで全部関門を突破して、肉体の死を経過しなくても直接的に千年国に入って、キリストと一緒に王となる。

これ以外にも、主が再来の時、依然として地上に生きる聖徒たちが、末の七週の災害に陥れられ、この大災難の試練を勝ち抜いて、勝利を得る人間でなければ、天国へは行けない。例えば主の為に殉道する人で、追試を受けて関門を突破できる人間です。これは全部勝者だけあって、将来は全部千年の国に入ることで、永世の永遠に,あなたがたは,選ばれた種族,王である祭司,聖なる國民,神の所有とされた民です.

つきましては弱くて、失敗したキリスト徒は、暗い地獄、あるいは火の湖にいけ、1千年の罰を受けることになる。ミレリアムは勝利を得るクリスチャンにとて、一つ大きな恵みの賜り、、失敗するクリスチャンに対し、千年の刑罰を受けなければならない、あの刑は非常に厳しいことである。

末の七週には二通りがあって、一つは敵キリストがどのようにか地上生きるクリスチャンを迫害することで、もう一つはこの不信の時代の人間に主から与えられる刑罰である。末の七週にある後半の三年半で、伝わるのは永遠の福音で、教会時代の恩典の福音のドアは、この時まで済むことになる。
現在の私たちは受けている『恩典の福音です』。イエスを信ずるものは永遠の命を得る。

 ヨハネ3;16神は,實に,そのひとり子をお與えになったほどに,世を愛された.それは御子を信じる者が,ひとりとして滅びることなく,永遠のいのちを持つためである.

53


  恩典福音の意味は、元にあなたが得るものではないが、主からただで下さることが出来る。そして、得られるものが神の永遠の生命である。一体何でしょうか?その外に『永遠の福音とは』何ですか?永久の福音は人に永久に死ぬ事がないが、血の気に属する生命である。

 永遠の福音は天使から伝わるもので、ヨハネの黙示録14;6また私は,もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た.彼は,地上に住む人に,すなわち,あらゆる國民,部族,國語,民族に宣べ傳えるために,永遠の福音を携えていた.彼は大聲で言った.「神を恐れ,神をあがめよ.神のさばきの時が來たからである.天と地と海と水の源を創造した方を拜め.」

 主イエスの再来に当たって、この永遠の福音を受け入れる人には恩の賜りがありません。その時になると天使はこの真実な福音を述べ伝えることによって、人々が主への賛美に値する福音を受け入れられることになる。

もし今日の福音は天使が伝わることに来れば、それなら恩典の福音ではなくなり、私たちはすでに信じても恵みがありません。恩典の福音は主の使徒や門人を通して、伝わるので、私たちと同様な人間の使徒や門人によって伝わることによって、その説得力が勿論天使より説得力が物足りない。

イエスは地上に福音を伝える時、栄光の一面を用いることではなく、まさに彼の引け目のある一面で福音を伝えたのです。だから人が伝わる恩典の福音を信ずるものであれば、恵みが賜ってくださる。知恵のある人はこの救いを得られて、恵みを与えられるが、

  ヨハネの手紙1;3章1私たちが神の子どもと呼ばれるために,事實,いま私たちは神の子どもです.御父はどんなにすばらしい愛を與えてくださったことでしょう.世が私たちを知らないのは,御父を知らないからです.

 だから永久の福音を受け入れても恵みを与えくださらない。結果分かれば、買に入れても間に合わない。要するに当たるくじの番号を分かれば、抽選の意味がなくなるのです。

 ヨハネの黙示録の構成はこのようになる。教会時代から開始し、終わりの一週、ミレリアムに入り、そして最後は永遠の神の国まで述べられる。これはヨハネ黙示録の主な範囲である。聖書の中にもヨハネ黙示録に関係のある預言が多数あり、特に重要なのはダニエル書である。実はダニエル書の記載による預言は、ヨハネの黙示録が出来てから、初めてその奥義を理解できたが、ヨハネの黙示録がなければ、ダニエル書の預言に対し、理解し難く、いくら真面目に読んでも分かるはずはない。と言う事によって、ダニエル書は施錠される書巻である。

  ダニエルがこの世にいる時、主の黙示の通りを書いたが、事実にいうと、彼自身は自分が何をいっても自分でさえ全く意味を知らない話だった。

 ダニエル書十二章4.ダニエルよ.あなたは終わりの時まで,このことばを秘めておき,この書を封じておけ.多くの者は知識を揩サうと探り回ろう.」

54 

 ダニエル書十二章4.ダニエルよ.あなたは終わりの時まで,このことばを秘めておき,この書を封じておけ.多くの者は知識を揩サうと探り回ろう.」
 主はここでダニエルにダニエル書がこのことばを秘めておき,この書を封じておけ.歴史の流れがなければ、この聖書をいくら読んでも意味が分かルはずない。

 神の御心によれば、この予言が終わりの週まで、、私たちの時代になって、時代に合わせての立証や多くのクリスチャンタニエル書に対する勉強があって、漸くこのタニエル書を完全に理解できるになる。ダニエル書の終わりの七週を理解出来れば、「多くの者は知識を揩サうと探り回ろう.」という言葉の意味も分かる。

 私は今日でこのダニエル書を解説できるのは、この聖書の預言通りに、終わりの日になってから、ダニエル書を解釈できる者が現れたのである。ダニエル書は旧約時代では、読んでも悟らないし、いくら読んでも獣と言うものを理解できない、「四つの国」とは、なんでしょうか?見当もつかないので、非常に深い奥義のものである。

  私は昔常に、聖書にある神の予言を解説したことがあるが、神の言も間違いなく、すべて予言の通りになるのである。それはあなた自身の自信を強める為であって、貴方には、聖書による予言につき、そのうちに必ず実現のようになると理解させなければならない。何しろ、聖書を真面目に理解する必要がある。

 将来になると、実現される預言であれば、本当に恐れ入りで、そしてその予言も必ず起こられる。ですので、ヨハネの黙示録の第一章には、この預言のことばを朗?する者と,それを聞いて,そこに書かれていることを心に留める人は幸いである.時が近づいているからである.

もう一度兄弟達に言っておきましょう。ヨハネの黙示録は3部分に分けられている
1:19そこで,あなたの見た事,今ある事,この後に 起こる事を書きしるせ.

「あなたの見た事,」「今ある事,」「この後に起こる事を書きしるせ.」これは、主がヨハネにそのまま書くように命じた。ヨハネの黙示録はちっとも難しくはありません。聖書なりにすべて神自分の説明があり、その全部が将来に起こる預言であり、過ぎ去った時代の記録ではありませ。

第1章は「あなたの見た事,」第2、3章は「今ある事,」

 ヨハネの黙示録4;1その後,私は見た.見よ.天に一つの開いた門があった.また,先にラッパ のような 聲で 私に 呼びかけるのが 聞こえたあの 初めの 聲が 言った.「ここに上れ.この後,必ず起こることをあなたに示そう.」

 ここから4章以降、述べるのはすべて「この後に起こる事を書きしるせ.」ヨハネの黙示録は透明的な内容で、はっきりしているが、聖書の中にすべての奥義の説明が含まれている。混乱する必要がない、聖書を真面目に読めば、主による将来についての予言が一目瞭然となる。

  これは何を意味するであろう;『将来のこととは』それは必ず起こる事であるでしょうか?』即ち終わりの一週のの事です。終わりのの一週が来る時に、恵の福音がすぐでも施錠されるようになる。

 兄弟達よ、なぜヨハネ黙示録を読まなければいけないでしょうか?私たちは箱舟を造らなければいけないし、裁きの日の再来を防がなければならない。

 大洪水が再び来ますか?きっと来る、これは必ず起こるのである。今のうちに見えるこれらの災難がたったの災難の始まりである。

55

 主はもし私たちを愛していなければ、又クリスチャンの目が覚めていないとすれば、そこで暮らしのすべてが順調さし、SARSやイフルエンザの病気も無く、戦争もない、地震もお子らないであれば、なにも天災や人為の行いによって、起こることがなければ、そして、お金の儲けも益々多くなる場合、貴方は主を愛することができるでしょうか?生活には、益々裕福になって、主を愛することができますか?日々に寝れば寝るほど怠けになるので、勿論答えはNOである。

 だから災難を起こさせ、少しでもあなたの苦しい生活を送るようにさせ、そうすれば、寝過ごすことがないように、毎朝、早起きで早朝のお祈りを忘れないようにし、こうなると救われることになる。人は『艱難憂患に生きながら、安楽に死す』安らぎ過ぎて死んでしまう、常に憂患していれば、いつも生き生きで頑張る。主は私たちを愛するので、地震で大地をちょっと揺れるようにし、そうなれば、貴方は人にはお金がすべてではないと認識するでしょう?大地がもっと揺れると命に危険を利かすことになる。  

それではあなたはまだ何の為に売買しているのか?ご存知でしょうか?稼いだお金は一時的に貴方のものだけですが。ダニエル書は1巻の神の言を秘めておかれたが、ヨハネの黙示録は開かれる書でした。

 今日は兄弟たちに教えよう。ヨハネの黙示録は非常に読みやすく。理解し易い書であり、本当にちっとも難しくはない。昔は、混迷でヨハネの黙示録が聖書の中に最も難しいだろうと思った方が多いとおもうが、これは全くばかげている。主はヨハネの黙示録の初めに言われたように「これはイエスの黙示録である」。

  Revelationの意味は、ここに奥義があって、この奥義をひらきましょう、誰でも読めるようにする。だからなにか理解しずらいがあるだろう?神自分で、この奥義を開いてくださって、あなたはさえ真面目に読めば必ずわかるようになる。

 サタンがヨハネの黙示録を読まないようにあなたの頭に複雑であることを惑わせ、あなたにこのヨハネの黙示録を読んでも分からないと惑わすのですが、クリスチャンとなってから30数年の間に、十数年間にわたって、こんな観念に迷わされて今日至るまで、ある日、聖霊はちょっとある悟りを私に開いて頂き、私はすぐヨハネの黙示録の中に溶け込んで、ヨハネの黙示録が正に最も簡単な聖書と発見した。

 コリント人への手紙二3:15かえって,今日まで,モ―セの書が朗?されるときはいつでも,彼らの心にはおおいが掛かっているのです.16しかし,人が主に向くなら,そのおおいは取り除かれるのです.だから初めから正しいの考え方で、ヨハネの黙示録を読むことが重要である。

56

フッター