ヨハネの黙示録十七章1節〜18節
多くの水の上にすわっている大淫婦
17:1それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。17:2地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。17:3御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。17:4この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、17:5その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。17:6わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。17:7すると、御使はわたしに言った、「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。17:8あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。17:9ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。17:10そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。17:11昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。17:12あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。17:13彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。17:14彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。17:15御使はまた、わたしに言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。17:16あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。17:17神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。17:18あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。
ヨハネの黙示録にある対照的な意味合いを持つことで、それを理解するのが極めて大事ですので、本章を勉強する時に、関係のある聖書の言葉を合わせて読み、本章を順番に読んでいくことではない。その言葉ごとに理解できれば、本章の意味も理解できるようになる。先ず本章の3節を読みましょう;
17:3御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。
この神の幻にある女と獣を見るのは、分けて見るひつよういがある;
17:16あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
だから女と獣が二つの意味を表現するので、真ふたつのあだ名で、異なった役です。
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しかし常に聖書の言葉に二つ名詞言葉を一つの意味にする時が有る、例えば;
ヨハネの黙示録6:2そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
上記の聖書言葉の「白い馬」と「それに乗っている者は」とは、一つの神の幻で、天使は白い馬に乗って、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
しかし17:3御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。
「ひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。」この言葉の意味が女と獣について、二つの神の幻である。そして、獣が女を焼きつくすであろう
17:16あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
では、どうして使徒ヨハネは女と獣をひとつの幻のように見えるでしょう、答えは、女と獣が連合である。
前では既に詳しく説明した通りに、七つの頭十の角の獣は、復興されるロマ帝国である。
そしてこの女はだれであろう?
17:18あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。
この女の一番目の手がかりは「地の王たちを支配する大いなる都のことである」。では、この大いなる都の特徴とは;
17:9ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
それで、分かる二番目の手がかりはこの女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
前の章では、この大いなる都はロマだと説明したが、その三番目の手がかりは、次に
17:1それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。
御使いが言われる多くの水という意味は「多くの水の上にすわっている大淫婦」―15節;17:15御使はまた、わたしに言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
上記の聖書ことばが三番目の手がかりなのです。しかし矛盾がないですか?前ではこの女のすわっている七つの山でありと言いながら、又「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。以上の二つの言葉をどうやって解釈できるでしょうか?引き続き、4節を読みましょう;
17:4この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、
金とは、神の性格であり、宝石とは、御霊の働きで、真珠とは、キリストの受苦である。この三つはこの女の装飾で、又憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち。
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次にこの女のわざをみましょう;
17:6わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。
上記の聖書によって、この女は聖徒を大いに迫害していたと理解出来た。よし以上の手がかりを合わせると、この女は一体誰なのか?聖書によって、この女を大淫婦と言い、即ち既に結婚した身を持ちながら、別の男と姦通をする。
兄弟達;この女は既にキリストに配属した教会のことなので、金と宝石と真珠とで身を飾ります。この教会の総本山はロマ都で、「七つの山に座っている大いになる都であり、又、この教会が世界の多くの所に述べ伝えられる「あらゆる民族、群衆、国民、国語である」。全世界まで述べ伝えていなかったが、世界のあらゆる民族、群衆、国民、国語である所を述べ伝えられた。
「あらゆる民族、群衆、国民、国語である」と「あらゆる国民、部族、民族、国語」とは、異なる。「あらゆる民族、群衆、国民、国語であるのは、世界中の大部分の地域と言う意味で、「あらゆる国民、部族、民族、国語」は全世界を意味する。
このような広範囲に述べ伝えた教会でM総本山がロマにあり、歴史上にも多くの王を管理したことが有って、尚多くのクリスチャンを殺害した教会は、ロマ・カトリック教以外にありません。
ではなぜこの大淫婦は「赤い獣に乗っているのを見た」?あの獣はロマ帝国であり、この言葉の意味は、ロマ帝国とロマ・カトリック教の関係が一人紫や赤いの服を着る女は赤い獣の上に座っているのである。
女を大淫婦と読んでも過言ではない。聖書は直接女を大淫婦と呼んでいる。
17:2地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。
「姦淫を行い」とは、利益輸送を意味する。女は世界の多くの国と相互に大使駐在を行う。考えて見て下さい;今の世界では、どこの国の宗教が他国と相互に大使駐在往来が出来るでしょうか?例えば;パプテスマ教会が他国と大使駐在を行ってますか?いいえ、飛んでもございません・歴任のロマカトリック教の法王がパチカンから大使を多くの国へ派遣し、同様に相手国もパチカンに大使を派遣し、駐在させる。そして、国連で、利益の為に条件を交換する。この利益が神の為ではなく、人の利益の為であるので、正しくさばきがないと言ってもいいほどである。
ある教会をテーマにする教会の映画を制作された。ロマカトリック教の裏切りによって、南アメリカのイエスキリスト教の伝教師とある村の住民が全部死んでしまった。ということで、ロマ・カトリック教は地上列国との取引が姦淫の事実である。本章の言葉を並べれば、この大
淫婦はロマ・カトリック教であることは間違いない。
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女は教会であるが、世界のことしか毛頭がない。
ヨハネの第一の手紙2:15世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
女は世界を愛するか聖の父を愛する?自分の夫を愛するか?別の男を愛する?女は世界を愛し、聖の父を愛していない。自分の夫を愛していないが、別の男を愛する。だから女は大淫婦であり、地の王たちはこの女と姦淫を行い、相互に大使駐在を交換し、利益を測り合う。又 地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれていると言う意味は、ロマ・カトリック教が偶像を拝み、聖徒らに間違い教えを教えた。例えば;昔台湾のカトリック教に司教がいて、中国のカトリック教が先祖拝みができると主張した。
カトリック教は人々に偶像を拝むように教えるが、聖書の教えによって、やってはいけない事です。勿論両親の像まで含みますが、なぜ偶像に拝みを教えたのでしょうか?信者が先祖を拝めなければ、カトリック教を受け入れないことになる。今、多くの人がイエス・キリストを信じない一つの原因は、先祖への祭ることに引っかかっている。もし牧師は先祖への祭りを平気でいけと言えば、恐らく多くの人がキリスト教をうけいれるだろうが、でもそれを言ってはいけない。聖書の教えに従うべきである。だから、カトリック教が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのをした。もう一度4節を見ます;
17:4この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、
なぜこの女が紫と赤の衣をまといと言われるのですか?ロマ・カトリック教の司教達が赤司教と称する。カトリック教の赤い服が有名で、法王の寝室には、すべて赤い色で、例え;ベット、クロス、ふとん、天井、馬の車など、靴下まで赤い色だった。あなたは道理に合わないことを感じるか?赤色は高貴な色で、女はウエアリングの紫と紅色の服に就く。
ロマ・カトリック教には、多くの修道士とシスタがいて、修道院で非常に苦労して修業するので、真珠と言われる。それに多くの聖徒は素晴らしい働きをしたので、「宝石」の様に輝き、即ち御霊の働きである。その外に、金で自分を装飾し、神の性格を持つ。歴代のロマカトリック教では、多くの聖徒が修道院で苦行をしながら、世界各地で善事を行う。トマカトリック教は、全世界で最も多くの善事を行う宗教であるが、すべて装飾と言わざるを得ない。何しろ、内には汚れで溢れる。ロマカトリック教に対する神の教えを:
ヨハネの黙示録2:18テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。2:19わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。2:20しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。2:21わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。2:22見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。2:23また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。2:24また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。2:25ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。2:26勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。
聖書を読めば読むほど人間世界にある神の預言のすべてを聖書の中に基づいて詳しく読めば、神の預言の通りにそれを事前にりかいできるであろう。
そして、サルデス教会のような更正教会が今になって、神の真理を完全に守らなくて、
3:1サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。3:2目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。
カトリック教会はテアテラ教会であるが、サルデス教会よりしっかりしていた。この女は偶像を拝んだが、多くの善事を行った。テアテラ教会の中に勝利を得る者もすくなくないであろう。
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サルデス教会から勝利を得る者が少ないだろうと思うが、御霊によるサルデス教会に言われることは:わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。御霊の言葉から考えれば、殆ど衰えるので、目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさいと言われた。
いまどきの更正教会を見渡ると殆ど神のことを認識していない。神はヨハネの黙示録で、今の世代にある教会実際の光景をもれることがなく、如実に黙示された。そして言われた「憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち」について、金杯を持っていても、外に傾けるのがすべて汚れに満物で、聖徒に聖書を読まない事と、マリヤにむけお祈りするような聖書に反する事を教え込んだ。
16世紀にある宗教改革者マチンロートは、聖書を読む前に、常にマリヤに見守って下さるようにお祈りをしていた。マリヤにお祈りをしても役に立たない。しかしカトリック教がそのわざを行っている。ということによって、十六世紀マチンロートが宗教改革前に、教会の光景が正に「憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち」。
17:5その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
世に流れたすべて神の真理に一致しない教えはすべてカトリック教会より述べ伝えた。この女は「地の憎むべきものらとの母」と言い、今までカトリック教会において、聖書を解釈出来る人が唯パチカンの法王だけとなり、教会の各組織が法王の教えに従わなければならない。上記の教会の光景に付き、すべて聖書の教えによるものです。引き続き6節を読みましょう;
17:6わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。
使徒ヨハネがなぜ驚きあやしんだのですか?教会自身が教会の兄弟を迫害するのを見たからである。ロマカトリック教によるクリスチャンを迫害した数は、三百年の間にロマ帝国によるクリスチャンへの迫害した数よりも多いであろう。
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ロマ帝国は大凡二週間に1回のペースで、世界有名なロマ競技場で、クリスチャンと獅子と対決させる。21世紀の今でもロマ競技場が存在していて、ひとつの観光スポットとなった。しかし当時の光景を想像すると残酷なシーンが浮かぶであろう。ロマ帝国がこのようにクリスチャンを300年間にわたって殺し続けたが、ロマ・カトリック教によるクリスチャンを迫害するより少ない。ロマ・カトリック教は教会であるが、多くのクリスチャンを殺してしまう事を「この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれていると言われる。
多くのクリスチャンの家で、聖書がないか調べられるが、一旦見つかると、殺される。当時のイギリスの国教はロマ・カトリック教の分枝であり、クリスチャンを迫害する、ロマ・カトリック教は信者に聖書を読ませない規則によって、勝手に聖書を読んだ人が火の刑にされるという厳罰が定める。と言うことによって、多くのクリスチャンが迫害から逃げる為に、新大陸のアメリカまで逃げて行った。これらの清教徒らが神に仕える一心だったのに、イギリスの国教によって、大いに迫害された。
元々イギリスの国教であるロマ・カトリック教は、イギリスの国王ヘンリ八世が離婚して、再婚とする為に、ロマ・カトリック教と決裂して、ロマ・カトリック教を止め、イギリス国教と定めた。しかし事実上、その一切の制度や腐敗の一面もまったく同じなものである。当時、迫害されたイギリスのクリスチャンがMAY号の船に乗って、新大陸アメリカに逃げ込んで、その新しい大陸で、二百年以上に上る強く盛んであるアメリカだった。今全世界で、最も住み心地がよい所は、当時に迫害を受けたクリスチャンの子孫達である。神は本当に奇妙な主である。
よくヨハネの黙示録六節をよく見ると、この女は誰であるかすぐ分かる。
ヨハネの黙示録17:7すると、御使はわたしに言った、「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。
女はロマ・カトリック教であって、七つの頭と十の角を持つ獣がロマ帝国であり、即ち、第四の国のことです。
ダニエル書7:23彼はこう言った、『第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。
第四の国はロマ帝国である。
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しかしロマ帝国は、1453年に滅亡してから既に約650年がたち、多くの国にわけられた。しかし、改めて復興されることになります。第四の国の再来には、二つの階段を経ななければならない。第一:ヨーロッパ連合であり、第二;復興のロマ帝国である。実に言えば、50数年前にヨーロッパ連合がオランダのマスツカのシテイーで結んだロマ公約につき、封面にあるロマ公約が正しい名前で、決して契約する地方名を呼ばないであろう。理にかなう常識ですが、条約の封面にある名前で、正式な呼び名であろう。
詳しく中古時代のヨーロッパ十六〜十七世紀の歴史を読むと、各国が皇室間の通婚を盛んに行う上で、ロマ帝国に復興されたいと思う。二十一世紀の今でも着々進んでいる。
聖書を読む度に、一つ確定できます。即ち、神の預言であれば、成らない事はないと確信を持つ。ダニエル書の中に始めるから最後まで四つの国しか言わなかった。これからこの四つの国を見て行きましょう。
ダニエル書2:40第四の国は鉄のように強いでしょう。鉄はよくすべての物をこわし砕くからです。鉄がこれらをことごとく打ち砕くように、その国はこわし砕くでしょう。2:41あなたはその足と足の指を見られましたが、その一部は陶器師の粘土、一部は鉄であったので、それは分裂した国をさします。しかしあなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、その国には鉄の強さがあるでしょう。
第一の国は純金、第二の国は銀の胸、第三の国は銅の腹、第四の国は、鉄の足と半分鉄、半分粘土の指である。この半分鉄半分粘土の足が金の像の第五個部分で、では像の指は第四の国や、第五の国でしようか?しかし聖書による異邦の民の黙示は第五の国と言っていないが、第四の国までである。
ダニエル書2:41あなたはその足と足の指を見られましたが、その一部は陶器師の粘土、一部は鉄であったので、それは分裂した国をさします。しかしあなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、その国には鉄の強さがあるでしょう。
「国をさします」とは、どんな解釈をする?「それは分裂した国をさします」とは、どこの国が分裂する?答えは;第四の国が分裂する。第四の国とは、どの国ですか?答えは東西ロマ帝国である。だから二つの鉄の足が有ります。
聖書によるーそれは分裂した国をさします。と記載されてある。1453年の時に、ロマ帝国は、フランス・イタリア・スイス・スペインなど多くの国家に分裂された。しかし
ダニエル書2:43あなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、それらは婚姻によって、互に混ざるでしょう。しかし鉄と粘土とは相混じらないように、かれとこれと相合することはありません。
41節の時に「それは分裂した国をさします」。そして43節にあるあなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、それらは婚姻によって、互に混ざるでしょう。43節の意味は何ですか?一緒にいなければ、互に混ざることができないので、「互に混ざる」とは、多くの者が一つに混ぜることを意味する。
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「それらは」から「ら」を取り除いて、「それは」とは、どこの国を指すだろう?
「それらは婚姻によって、互に混ざるでしょう」とは、一つの国を指すことで、多くの国を意味するものではない。しかもこの国の人は多くの部族に混ざることになる。
以上の言葉より、ロマ帝国が再度出現すると予言している。詳しく説明すれば、ロマ帝国の人が多くの国民と連合することになる。聖書によって言うのは、それらは婚姻によって、互に混ざるしか言っていない。アジア人やアフリカ人やアメリカ人等を言わなかったが、確実に多くの部族と連合となる。聖書にあるそれぞれの文字には意味が有り、この「しかし鉄と粘土とは相混じらないように、かれとこれと相合することはありません。」の意味は、第四国が、異なる部族の間に意見の相違がある。
歴史によると、ロマ帝国は多くの国を併合し、多くの部族と混ざる事あっても、ロマ帝国の言いなりになり、従わない人であれば、殺される。しかし43節にあるかれとこれと相合することはありません。もっと読んで見ましょう;
ダニエル書2:40第四の国は鉄のように強いでしょう。鉄はよくすべての物をこわし砕くからです。鉄がこれらをことごとく打ち砕くように、その国はこわし砕くでしょう。
「打ち砕く」と 「こわし砕く」とは、到底 こわし砕いたでしょうか?勿論壊し砕いた。鉄はよくすべての物をこわし砕くからです。そうなると、まだ意見を述べられるか?だからダニエル書40節にあるお互いに混ざると言っても、相合することが出来る。
ここから見れば、ダニエル書の40節と43節にある同じな国と言っているが、状況が異なる。ダニエル書2:42その足の指の一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。
前の40節では、第四の国は鉄のように強いでしょう。鉄はよくすべての物をこわし砕くからです。鉄がこれらをことごとく打ち砕くように、その国はこわし砕くでしょう。しかし42節はその足の指の一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。
歴史の知識がなければ、聖書を読んでも分からない。聖書によるこの第四の国の「鉄」と後半の「一部は鉄と一部は粘土」とは、同じくにであるが、異なる状態である。
ダニエル書2:43あなたが鉄と粘土との混じったのを見られたように、それらは婚姻によって、互に混ざるでしょう。しかし鉄と粘土とは相混じらないように、かれとこれと相合することはありません。
43節の意味は、各部族にそれぞれの意見が有ることを意味するが、40節の「鉄はよくすべての物をこわし砕くからです」と違う状態であって、違う環境であるに間違いない。40節の状態下では、強制政治の様にデモや抗議やを許されない時代であるので、これこそ「鉄はよくすべての物をこわし砕くからです」。
だからダニエル書2章43節の実際状態を見れば、今日のヨーロッパ連合の様に似るでしょう?鉄と粘土とは相混じらないように、かれとこれと相合することはありません。
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これは一つ政治政権の国であるが、まだ完全ではないけれど、既に90%が出来ていて、近い内に一つの国家となるのです。間違いなく、最初のロマ帝国にはただ一つの主権があるが、後のロマ帝国であれば、それぞれの独立の小さい主権がある。
ヨハネの黙示録17:12あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。17:13彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。
上記の聖書によると、一つの王の様に見えるが、実に十個王である。ところで、神の幻では、なぜ十の角があるのですか?昔から今まで聖書の解釈する専門者は今の時代にいる我々のようにはっきり見える事が出来なかった。聖書の預言では、歴史の進化によって、その奥義が解かれて証明されていくので、今の世代の私達がその考古学と歴史証拠による50年前や100年前の時代よりよく理解できるようになった。
我々の方が勝ると言うことではなく、聖書の預言が歴史によって証明された。今聖書の預言により近い将来の国際情勢の変化や大自然の災害などの発生などよを聖書に基づき、予測できる。これは、神の憐れみによって、聖書で、黙示して下さったのです。我々預言者ではなく、唯、聖書を自分の人生のよき伴侶として、毎日読んでいるからである。
しかし読んでも理解できない日地であれば、本当に愚かな者と言うしかない。歴代にわたって、聖書を解説する内容を照らして合わせれば、今何か起こるか?国際情勢の流れや神の預言の実現など非常に明白なものであるので、これも自然な流れで、何しろ主の再来が近づいている。
もしヨーロッパ連合の発展を目にしなければ、旧約聖書のダニエル書二章43節の意味を理解できるはずはない。例えば:「その国は一部は強く、一部はもろいでしょう」とは何でしょうか?前では鉄はよくすべての物をこわし砕くからです。鉄がこれらをことごとく打ち砕くように、その国はこわし砕くでしょう。しかし、後になって又なぜ一部は強く、一部はもろいと言うでしょう?神は、はっきり教えて下さるのは、第四の国が二つの階段に分けて、後になっての一部は強く、一部はもろいの国が、一部は鉄で、一部は粘で成り立つのです。十個足の指が有って、即ち七つの頭と十の角であるが、彼らはまだ国を受けてはいない。
引き続き、ダニエル書の七章を読みましょう:この章の内容と三章の内容が同じ意味を持つ意味である。
ダニエル章七章にある四つの獣について、三章にある四つの国のいみである;
ダニエル書7:3四つの大きな獣が海からあがってきた。その形は、おのおの異なり、7:4第一のものは、ししのようで、わしの翼をもっていたが、わたしが見ていると、その翼は抜きとられ、また地から起され第一のものは、ししのようでと言うのは、ダニエル書二章にあるあの大きな金の像である。
て、人のように二本の足で立たせられ、かつ人の心が与えられた。
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第二の獣;
ダニエル書7:5見よ、第二の獣は熊のようであった。これはそのからだの一方をあげ、その口の歯の間に、三本の肋骨をくわえていたが、これに向かって『起きあがって、多くの肉を食らえ』と言う声があった。
なぜ「そのからだの一方をあげ」?一つは波斯で、もう一つはマダイである。ダニエル書二章にある像の胸と両腕とは銀、第3の獣は腹と、ももとは青銅;
ダニエル書7:6その後わたしが見たのは、ひょうのような獣で、その背には鳥の翼が四つあった。またこの獣には四つの頭があり、主権が与えられた。
第三の獣は豹のような獣で、一つの獣になぜその背には鳥の翼が四つと四つの頭があったのでしょうか?第三の獣は希臘を意味し、それに四つの王があり、北にはシリアで、南にはエジプトで、東には小アジアで、西には、マチトンであり、希臘最後には四つの国家に分裂したので、四つの頭がある。
続いているのが、二つの足の内容であり即ち東西ロマ帝国である。聖書はこのように、一つの預言で、異なる章にて、違う例えによって、繋がらせると一つ完全な意味が見えてくる。このような見方によって、二つ鉄の足のしたににある一部は鉄、一部は粘土の指には大いに意義が有る。ではダニエル書の七章にある第四の獣について;
ダニエル書7:7その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。
第一の獣は獅子で、第二の獣は熊で、第三の獣は豹で、では第四の獣はなんですか?聖書の中にこの第四の獣の事に言及する所がどこですか?答えはヨハネの黙示録にある七つの頭と十の角である。だから言ったでしょうが、聖書は偽造するのが不可能であり、この時代でダニエル書を書いた2600年の前ダニエル本人でも神の黙示によって、書かれたのですが、その意味を全く知らないのではないか?そして、1900年前に使徒ヨハネが書いたヨハネの黙示録でも、何を意味するか、分かる筈がない。もし聖書の各書による意味が繋がる事が出来なければ、聖書と呼べなくなるだろう。
ヨハネの黙示録13:1わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
上記の言葉がダニエル書七章の第四の獣のことを意味するが、何に似ているでしょうか?
ヨハネの黙示録13:2わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。
ひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。第一の獣と第二の獣と第三の獣の合体で、歴史にこの四つの国が一つに一つに順番に出現されるのです。なぜ
ヨハネの黙示録13章2節をダニエル書に書き込まないでしょうか?ダニエル書は約2600年前で書かれたもので、ヨハネの黙示録は1900年前で書かれた。その前後約650年の差が有ります。この二つの書を書いた神の僕は、お互いにしりあうことがなく、同じ時代の人間ではなかった。しかしこの二つの書の内容を合わせれば、その間にある隙間を埋め込んだことができ、ちっとも食い違いが有りません。もしダニエル書に第四の獣が孔雀であると書いたら、大変な事になるだろう。
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聖書は神の計画通りに動くと書いている。聖書を読んで、非常に慎み深さであると知るが、特に人間の視点から遠く離れるように見える事情は、このように厳密な、環状の相を書くことができるとは、非常に困難です。ダニエル書にあるのが十の角だけ記載されるが、ヨハネの黙示録まで、七つの頭の説明について記載されるようになる。しかし今は、七つの頭の内にある六つの頭が既に過去のものとなった。
ヨハネの黙示録17:10そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
使徒ヨハネの時代には、五つの頭が即ちその五つの王が既に過ぎ去ったが、使徒ヨハネの時代が過ぎ去ってから、六つ目の頭も過ぎ去りました。だから私達は、七つの頭の内の六つ目の頭がgameoverだが、七つの頭がまだきていない。この七つの頭は、十の角の獣の中に最も大きな王であり、
17:12あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。
この十の角が十の王であると聖書は説明してある。ダニエル書をよく読むと神は、四つの国と言われる。第四獣の十角が大きな金の像にある一部は鉄、一部は粘土の十本の足の指である。その大きな金の像の頭は統一されるバビロンで、胸と両腕とは銀の波斯とマダイで、腹と、ももとは青銅の希臘で、そしてすねは二本の鉄の足で、即ち東西ロマ帝国であり、又足の一部は鉄、一部は粘土です。
神は一つの大きな像を例えにし、人類の歴史の発展をそのまま示し出すようになる。ダニエル書七章は第一の国のバビロンを描き、獅子のように向かう所に敵が名し、又第二の国の波斯とマダイが熊のように、この国の特徴に似ていたが、第三の国の獣は豹で、希臘と言う国で、アリザン大帝が領土を拡張する時に、戦いの特徴が豹のように速さと奇襲で、これこそ豹の如くの特徴である。事実上この三つの国のロゴは、丁度獅子、熊と豹である。本当に理解出来たら、肌がぞっとするであろう。
若い時から常に聖書の預言に驚かされる。聖書を読み始める時に、聖書の言葉を気にしないで簡単に目を通してしまったが、もっと早い時期に、主イエスを信じれば、永遠の命を授かると言うメッセージを聞いて笑ってしまった。それは一体何を言うの?何をちんぷんかんぷん言うの?しかし後になって、聖書を段々理解できるようになる時に、神の言を厳粛に受け止めて、一つ一つの言葉を丁寧に咬むようになる。
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だからダニエル書では、明確に四つの国のことを言明された。では第四の国の東西ロマ帝国が1453年の時期に既に終焉を迎えられたが、言い換えれば、あの改めてくる足の一部は鉄、一部は粘土の国が何でしょうか?答えは復興されるロマ帝国である。
今日はここで預言させていただきます。アメリカとイラクの間に起こる戦争が終えてから、アメリカは既に中東戦争を調停役になる資格を失いかけた。第三者として成り立たなくなったのである。アメリカ自ら中東戦争に陥ったので、裁判役として出来るわけがない。アメリカはイスラエルの側に肩を持ちであるので、中立の立場が失いました。
イスラエルとアラビア連合との間にある調停のポイントは、東エルサレムの主権の帰属権である。エルサレムはユダヤ教とイスラム教の聖地で、双方の争いには、是非の解明が出来ない。唯一の平和方法として、この帰属権を誰に決まれば、本当の平和が訪ねてくるであろう。
この決定によって、多くの国が絡んでくるのが間違いない。パレチナはイスラム連合を代表する事が出来ないので、すべてのイスラム教の国家が同意しなければならない。更にイスラエルやヨーロッパ連合にも及んでくる。どれぐらいの国家が関係するか予測がつかない。もしかしたら、アメリカヤロシアも参入するかもしれない、尚中国も仲介者として、参加する。だからこの同盟条約は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう;
ダニエル書9:27彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。
この前に
ダニエル書9:26その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そfしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
ダニエル書9:27の前半のことばによると、神の宮が既に再建され、犠牲と供え物を回復する、そして、後半のことばによって、犠牲と供え物とを廃するでしょうと教えて下さった。
このダニエル書9:27によって、ヨーロッパが中東戦争の仲介役を買って出てきた「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」これも一週の内に、起こる、即ち、最後の一週が来る事を意味する。
このイスラエルの為に決まった七十個七週が過ぎ去れば、世界はどうなるでしょうか?
ダニエル書9:24あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
上記のことばによると、世界の終焉を迎えるであろう。
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ダニエル書9:27にある通りに、ヨーロッパ連合の主席は、中東和談の仲介役を買って、東エルサレムをイスラエルに返せるように旨く調整が出来る時に、世界が七年しか残らない事になる。だから主は再来の年代がいつになるか?正確に分からないが大体が分かるだろう。
マタイによる福音書25:13だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
はっきり何年か分からないが、大体分かる。ヨーロッパ連合にある何人目の主席によって、「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」という正確な事を知らないが、神は、まだ少し時間を残って下さった。
ダニエル書7:7その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。7:8わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。
その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきた。この十の角の後に改めて出来来た一つ小さい角が敵キリストである。
ということによって、今ヨーロッパ連合にある27個の国が最後に残されるのは十の国である。しかしその中に敵キリストがいないが、敵キリストはこの十の角の後に改めて出来来た一つ小さい角の事である。
この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。神は敵キリストに一つの知しるしを与えられた。即ちこの十個王の以外に発ってくる王であり、彼は既に存在した三つの王を制圧する。このあとになって、発ってくる王が、即ち敵キリストの前半に「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶ敵キリストである。第七つの頭で、第七位の王でもあり、正常な方であるため、イスラエルに聖殿を再建させる方である。
これ以外に第八位の説明を前の説明を見て下さい。
「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」又「彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。」この方の外観が同じ人であっても、行う事が全く異なる。前面で、「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」しかし後半で、「彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。」全く考えられない;しかし聖書の説明を読めば分かる;
ヨハネの黙示録13:3その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
しかしこれは本当の甦りではなく、偽りの甦りである。第七位の身体が復活したが、付き込む霊魂は第五位の霊魂である。本当の甦りが霊魂体の復活を指すのです。
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ダニエル書7:20この獣の頭には、十の角があったが、そのほかに一つの角が出てきたので、この角のために、三つの角が抜け落ちた。この角には目があり、また大きな事を語る口があって、その形は、その同類のものよりも大きく見えた。
大きな事を語る口とは、敵キリストである。
ダニエル書7:23彼はこう言った、『第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。7:24十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。7:25彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
ひと時と、ふた時と、半時の間=三年半のことを意味する。この三年半について、聖書は常に繰り返し言いますが、神は正しい裁きの神である為、重要な事が必ず繰り返す黙示する。兄弟達;私達の主は私たちの主がとてもそそのかすと感じないか?あたかも世界を創る時に、神は六日間の間に天地の創造をする毎日の完了の時に必ず神は見て、良しとされたと言われますが、なぜ全部創造してから、1回だけ言えばよかったのではないか?唯第二日だけよしとされなかった。
又「種類にしたがっていだせ」、創造するたびに、繰り返して言われるが、なぜそう言われたか?人間は進化によって進んで来るものではないと教えて下さったのですが。どれぐらいの人が、猿と人間の進化によって、サタンに惑わされて、袋小路内に詰めて、出てくる事が出来なかった。猿と人間のDNAは比較すると、似ていると事が99,8%で、唯線分の二のちがいがある。しかし猿は猿で、人間は人間で、変わる事が出来ません。
神は絶えずに「種類にしたがっていだせ」・「種類にしたがっていだせ」・「種類にしたがっていだせ」と繰り返しに念を押したのに、とりあえずに創世記にある黙示をよく理解するように。
わけが容易いが、試験を受ける子供に注意事項を繰り返して言う親の心と同じきもちであるのである。
ダニエル書に戻りましょう;ヨーロッパ連合が一旦現れると、 「一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」という主役が出てきた。そして一週の間の国際情勢も出現したので、この二つが組み合わせれば、主の再来まで、七年弱となるであろう。本当に中東平和会議の仲介役のできる国がヨーロッパ連合の主席であるが、何人目が分からないが、間違いなく出現するだろう?しかし後我々に残る時間がどれぐらいあるだろう?主はもうドアを叩いている時期です。
聖書によると、十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。
だからこの敵キリストは革命の方式で現れるであろう。一般の民主選挙の方式で立ち上がるではない。
よく計算して見ましょう;旧約聖書のエズラ記とネヘミヤ記とハガイ書をよく読んで考えれば、第2次神の宮の再建の過程を合わせれば、第3次の神の宮の再建も第2次と同じ様になるのではないか?だから後20年〜30年の間に主の再来が臨むでしょう。
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しかし最後の一週の前半に聖書のヨハネ黙示録の黙示によると、既に四分の一の人間が亡くなる。「ヨハネの黙示録6章8節」6:8そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。
だから何歳の時に、主を愛するのは、適当な時期ですか?務めなければならないのですが、依然として世界の豊富だけ追い求めるでしょうか?しかし頑張っていても必ず財を手に入れるとは限らないのではないか。ところで、真面目に主を追い求めれば、王となる保証が付きます。もし貴方はマタイによる福音書にある、思慮深い十人のおとめであれば、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意した方が賢明です。引き続き;聖書をよみましょう;
ヨハネの黙示録17:8あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。
この獣は前では既に述べたが、彼は「その数字とは、人間をさすものである」
ヨハネの黙示録13:18ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
だからこの獣は人のことで、一人の王である。昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、驚きあやしむで、獣を拝む事になる。
17:9ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。17:10そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
聖書による説明を見ると、七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。神の目から見れば、七つの頭が七人の王で、敵キリストがこの七人の王の内にある一人であり、8節が言われたー昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってくる王がこの七つの頭の所から捜す。次に進みましょう;
「また、七人の王のことである。そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。」上記の言葉によって、敵キリストは使徒ヨハネネ時代に既に過ぎ去った過去の五つのロマ帝国皇帝の内にある一人であると確信できる。
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貴方は既に七つの頭と十の角の獣を見たので、敵キリストがこの七人の王以外の王であるはずがない。さもなければ理屈が合わない、聖書によれば、「そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。」では、我々は消去方法でこの王を見つけ出しましょう。
8節にある「ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。」と言う言葉から考えると、絶対使徒ヨハネ時代の王ではない。即ち第六位の王ではないと確信できる。では第七人の王でありましょうか?ヨハネの黙示録17:10そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
第七位が来れば、しばらくの間だけおることになっている。その意味は、第七位の王が来れば、しばらくの間だけおる事になる。次の11節に進みましょう;
ヨハネの黙示録17:11昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。
上記のことばによって、昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、それでは彼は第七位の王とはありません。前では述べたが、第七位が暫くの間だけおる事になっている。では、第七位と第八位とは何の関係が有りますか?
下記の聖書は更に物凄いですが;「またそれは、かの七人の中のひとりであって」。この言葉によって、第八位は七人の王の中の一人である。私達はしっかり考えましょう;一体第八位は、本当に七人の王の中の一人でしょうか?答えはyes。では聖書では、なぜ彼を第八位と言う?ここの言葉によって、数十年の間に私を惑わされ続けて、幾ら読んでも分からなかった。その下に言う;「ついには滅びに至るものである」
皆に分かってもらうために、ヨハネの黙示録十三章に戻って3節を読みましょう;
13:3その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
先ほど敵キリストは第七の頭だと言いましたが、3節の聖書によれば、七の頭の一つが死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そしたら何人目の頭が死ぬほどの傷を受けたでしょうか?答えは第七位である。歴史証拠によって、前の六人のロマシザ皇帝の中に誰一人の甦りもありませんでした。
死ぬほどの傷を受けたとは、死んでしまった事で、重い傷だけと言う意味ではない。例えば一発で、心臓に当たれば、心臓が潰れたので、死ぬしかないが、又何日も死んでしまってから甦ったのです。死ぬほどの傷を受けて、死んでしまったが、その致命的な傷もなおってしまった
前では聖の父、聖の御子、聖の御霊があるが、悪魔の父、悪魔の子、悪魔の霊もあります。悪魔の子とは、敵キリストであり、悪魔の父があの赤い龍のことである。
悪魔の子が敵キリストである以上、主イエス・キリストを真似して、死から甦られるようにした。七つの頭の中に前の五つの頭が死より甦りがなくて、六つ目の頭も甦りがなかった。では、七つの頭の中の一人が死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった者が七つの頭を指すのである。
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即ち七人の王が出てきて、暫くの間におる事になっているが、間もなく暗殺されたが、死んでから、又甦ったというシナリオである。これは聖書にある
ヨハネの黙示録13:3その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
聖書より七つの頭を見た、そして第七個の頭が死より甦られた。しかし8節にある昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて。底知れぬところから上がって来るとは、母親から生まれる人ですか?いいえ、そうではないので、彼は第七の頭であるが、第八位の事である。
今もうお分かりでしょう;第七位が暗殺されたが、彼のたましが陰府に行ったが、そこに昔はいたたましが第七位の身体に上ってきて入り込んだ、即ち敵キリストがここで、一つの偽りの事を働いた;
テサロニケ人への第一の手紙2:9兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。
ヨハネの黙示録17:11昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。
第七位のたましが既に陰府に行ったが、前の第五位のたましが底知れるの穴から上がってきて、第七位の身体に入り込み、全部七つのたましがあって、七人の身体だけである。ただ、第五位のたましが2度目の肉体に入り込みだということですので、神の幻の中で、七人の身体と七つの頭しか見えない。
ヨハネの黙示録13:18ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
前ではのべたので、この数字が過去のロマ皇帝―ニロシザと言う。これも兄弟会の聖書解釈によるものである。
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それにもう一つ問題を解決する必要がある;七つの頭十の角のことですが、七つの頭は七人の王で、十の角は十人の王であり、全部王だと言う意味は何でしょうか?
ヨハネの黙示録17:12あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。
私達は既に敵キリストが復活された第五位のロマ皇帝のニロシザのたましだと分かったが、身体の復活がなかったこの獣が十の角とは何の関係が有るでしょうか?第一;獣と十の角が同時に起こることです。十の角とは、十の王の事で、「獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける」。この十の王が獣と共にいっしょに権威を受ける。
ヨハネの黙示録17:13彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。
言い換えれば;この十の王は心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。敵キリストはこの十の王によって、選び出されたので、そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。この敵キリストは権威を受けて、この十の王を治めることができる。
ダニエル書7:7その後わたしが夜の幻のうちに見た第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。7:8わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。
上記の聖書とヨハネの黙示録に合わせて読むと、この二け所によって、述べる十の角の事が全く同じである。敵キリストがこの十の角の中の一つではない。彼とはその中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。
敵キリストが誹謗可能ができる獣である。
ダニエル書7:23彼はこう言った、『第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。
地上の第四の国というのは、ロマ帝国の事である。
ダニエル書7:24十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。
ロマ帝国とは、即ち今のヨーロッパ連合である。
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昔、常になぜ一つの国家は十の国を発つのでしょうか?と疑問を持つが、今のヨーロッパを見ると、はっきりしている、すべての疑問も飛んでしまった。彼とは元々あった王ではないが、その中に、また一つの小さい角が出てきた。しかし恐らく、この人が既に生まれただけではなく、大人となったかもしれない。
もし敵キリストがくれば、主イエス・キリストも来る事になる。唯敵キリストが地上に居ても現れていない。敵キリストが出現すれば、主イエスは勿論現れる。敵キリストとはその中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。即ち十の王が有ってから出てきた王であり、
ダニエル書7:24十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。
「獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける」。この十の王が獣と共にいっしょに権威を受ける。
歴史証拠より我々は分かるように、ロマ帝国の地図は今のヨーロッパにあるが、既に分裂したが、必ず併合となるので、ダニエル書による神の幻を見た;
ダニエル書2:34あなたが見ておられたとき、一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕きました。
なぜ頭を打たない?バビロン帝国が既に過去のこととなったからである。そして、波斯とマダイと希臘と東西ロマ帝国までも過ぎ去ったので、復興されるトマ帝国―その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕きました。
ということによって、一部は鉄、一部は粘土が出現し、一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕く時に、世界は終焉を迎えることになる。
ダニエル書2:34あなたが見ておられたとき、一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕きました。2:35こうして鉄と、粘土と、青銅と、銀と、金とはみな共に砕けて、夏の打ち場のもみがらのようになり、風に吹き払われて、あとかたもなくなりました。ところがその像を撃った石は、大きな山となって全地に満ちました。
そしてあの石が大きな山となって全地に満ちました時に;
イザヤ書2:2終りの日に次のことが起る。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき、2:3多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。
今最も重要な事が神の言であり、永世に入ってからも神の言が最も重要なのです。その時に、どんな学問でも役に立たない。神の言を最もよめば、神に重視される。だからあの日から、多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主のシアン山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。
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神の言は全能に満ちている、今のような乱れの世の中に神の預言が順番に実現されている。
ヨハネの黙示録17:17神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
上記の言葉を読んでどう思いますか?一人の王であれば、ともかく何しろ十人の王が同じ思いをするとは不思議しか言えない、正に全能の神のみわざである。下にある御言が成就する時まで彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
歴史上では、このような歴史;十人の王の思いをひとつにする歴史を読んだことが有りますか?これは全能の神しかできない。アブラハムの様に自分の妻を他人に譲るとか自分の娘を他国に和解婚にしても差し支えないが、一人の王として、もっとも嫌な事が自分の王国を敵に奪われることではないか?しかし御言が成就する時まで彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
しかしここまで勉強くると、将来の事が怖がるだろう、主が間もなく来られるでしょう?目を覚まさなければならない。必ず審判台の前に来れば、悔しいとか?なぜ当時はしっかりしないとか?又誰かの文句に言うなど…千年の火の池に投げ込まれる恐れのあるクリスチャンであれば、早めに悔い改めなさい。現世では真面目に主の道を追い求める方と怠け者の方の情けない怠慢など今の時に既に徹底的に教えてやったので、願わくは今の教えを心にとめて、頑張ってください。
兄弟達:もし今頃、主が来れば、貴方はどっちの方ですか?勝利者や失敗者?もし自身がなければ、これから頑張れば、まだ十分間に合います。
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17節を読みましょう;
ヨハネの黙示録17:14彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。
小羊とは、キリストであり、主の主、王の王である。使徒ヨハネはこの言葉を使用し始める時に、西暦がまだ使用されていない。当時のロマ帝国がクリスチャンを迫害する最中で、イエスを信ずる者を異端とすることと判定され、どこが全世界が主イエスの年号を用いることができるかどうか見分けがつかない?しかし今日では、小羊とは、キリストであり、主の主、王の王である。
全世界では、仏教国家でもイスラム国家でも無神論の共産国家でも全部イエスの年号を使用し、すべての税関もイエスの年号しか承認しない。それだけではなく、全世界のパソコンや電話もイエスの年号を使う。 全世界のすべての事は、イエスの年号をもって、運用される。又多くの国さえ自分の国家の年号を切り捨て、イエスの年号の西暦を自分の国の年号を使いきりで、主は主の主、王の王である。今述べている事が正に神の神跡で、神は全能の神である。
彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。この戦争は、ハドマゲドン戦争である。
この戦争では、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、彼らも勝利を得る。即ち、この小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちもこの戦争に参加した。この時期で神の家の審判も終わり、第2次審判の後、ハドマゲドン戦争が起こることになる。
審判の順序はこうなる。先に神の家の人、即ちクリスチャンを審判する。勝利を得る者が王となり、失敗者が千年の火の池や暗闇の底に投げ込まれ、そこで泣きを悲しんで歯ぎしりする。
それに引き続き、ハドマゲドン戦争がおこり、戦争終了後、ヨシャパテの谷で、すべての国民を裁く;
ヨエル書3:12もろもろの国民をふるい立たせ、ヨシャパテの谷にのぼらせよ。わたしはそこに座して、周囲のすべての国民をさばく。
マタイによる福音書を読みましょう;
マタイによる福音書25:31人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
上記の聖書はハドマゲドン戦争の後に起こる。ここにある「御使たち」のことですが、ヨハネの黙示録十七章にある選ばれた、忠実な者たちも、彼らも勝利を得るものである。だから主は再来の時に、一緒に共にいるのが御使いと勝利者がある。
ヨエル書のヨシャパテの谷の審判とマタイによる福音書25章31節による内容はハドマゲドン戦争の後にすべての民を行う審判である。
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マタイによる福音書25:32そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
上記の聖書によって、審判を受ける人が神の家のひとではない。ユダヤ人もいるかもしれない。何しろすべての民が来るから。しかし勝利を得るユダヤ人と勝利を得るクリスチャンが既に取り去られた。神の家の審判が終了した。だからマタイによる福音書25:32そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、についての審判がハドマゲドン戦争の後に生存している民である。マタイによる福音書25:32の内容につき、羊とやぎにつき、聖書の中に最も解釈の難しい問題の一つである。我々は聖書による御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書3:16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
羊とやぎにつき、永世後の庶民となって、血の気のある庶民である。イザヤ書による
イザヤ書66:23「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる。
そして聖書によって、教えて下さった私達のことですが;
ヨハネによる福音書1:12しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。1:13それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
しかし神は言われた;
イザヤ書66:22「わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地がわたしの前にながくとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名はながくとどまる」と主は言われる。
上記の言葉によれば、血の気のある人間であり、子孫もある。そして我々は、天にいる御使のようなものである;
マタイによる福音書22:30復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
だから神の永世の中に我々に子孫がいないが、血の気の人間であれば、子孫が残る。これらの血の気の人はハドマゲドン戦争の後にヨシャパテの谷に審判を受けて、羊となった人々である。
マタイによる福音書25:33羊を右に、やぎを左におくであろう。25:34そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。25:35あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、25:36裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。25:37そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。25:38いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。25:39また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。25:40すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。25:41それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。25:42あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、25:43旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。25:44そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。25:45そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。25:46そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
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又ヨハネの黙示録17章にもどりましょう;
ヨハネの黙示録17:15御使はまた、わたしに言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
引き続き:
ヨハネの黙示録17:16あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
前では既に述べたが、十の角と獣は敵キリストと十の王であり、敵キリストが第五位のロマ帝国のニロシザで、淫婦はロマ・カトリック教である。その内に敵キリストがロマを焼く。歴史上にあるこの皇帝の荒技ですが、その内に2度目のより大規模のロマシテイーを焼かれることになる。獣は十の王と共にこのロマを焼かれる。
先に下記の聖書を読みましょう;
ヨハネの黙示録18:9彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、
地上の王が多過ぎ、各地に分散され、どうやってロマ都を焼かれることが見られるでしょうか?焼かれるのをみて、早く船にのっていくことでしょうか?間に合わないだろう、世界の至る所から船で行けば、とっくに燃え尽きるであろう。又当時の交通事情によって、このニュースを知る時に、既に半年先以上ではないか?又全世界の王がロマ都に集まって見物するでしょうか?当時の時代では、まったく不可能ですが、しかし地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみというのは、二千年後の今の時代に衛星中継、生放送の事を預言しているのが、間違いないのです。これは黙示ではなく、明白に教えてくださったのです。しかし今までの科学技術の進歩がなければ、りかいができないでしょう。これもすべて全能者の神の預言である。
1995年の時からインータネットが始まって、二千年前のヨハネの黙示録にあるこの預言が既にインータネット時代の先に告知をして下さった。
兄弟達;主の再来が近づいた。本当に玄関でノックをしている最中で、まだ前と同じように目を覚まさないと、間に合わない。2009年から2010年の世界気象や地震やインフルエンザの流行等が七級以上の地震が過去の年間ペースを上回る。これもすべて災難の始まりである。
マタイによる福音書24:8しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
そして、地球の人口が四分の一が死ぬことになる。
ヨハネの黙示録6:8そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。
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主は審判をしに来られる時に、世界中に三分の二の人が死ぬことになる。
ゼカリヤ書13:8主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。13:9わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。
兄弟達;まだ目をさまさないのですか?
ヨハネの黙示録17:17神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。17:18あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。
マルコによる福音書;
マルコによる福音書10:27イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。一切の事は、神によって、言われれば、神にはできる。
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