聖書ヨハネの黙示録講義(下)作者:呉明憲兄弟


第十五講―六つの封印を開き


ヨハネの黙示録六章1節から17節

 6:1小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。6:2そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。6:3小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。6:4すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。6:5また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。6:6すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。6:7小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。6:8そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。6:9小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。6:10彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。6:11すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。6:12小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、6:13天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。6:14天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。6:15地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。6:16そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。6:17御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」  

 ヨハネの黙示録四章から十九章まで、この十六章の内に有る内容はすべて七つの封印と七つの号を述べるのである。これは神から地上にいる人々に災いを与え、特に主イエス・キリストを信じていない人に与える試練と苦難が尚更である。これと同時に敵基督も地上で、クリスチャンを迫害しながら、神の戒めを守る人を殺す。こそは正に聖書にある大災難の予言であり、それが前期と後期に分けられる。前期は六つの封印を開き;一つ目の封印を開いた時に、災難がまだそれほど怖い災いではなかったが、ヨハネの黙示録の六章6節〜14節の間に六つ目の封印を開く時に、「小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、6:14天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。」

  六つ目の封印が物すごいのに、七つ目の封印が更に厳しいし、酷いのである。七つ目の封印を解く時に七人の御使いが出てきててラッパを吹きます。これから人間が直面する災難が形容しきれないほどとてつもなく大きい災難であり、前の六つの災難とは比べるものにならないほど大きい。七つ目の封印も七個の号を含み、七つ目の封印を解く時から本当の意味で、大災難の始まりである。

 しかし六つ目の封印と七つの封印の間に神は第七章を差し込んだ。即ち六つ目の封印を解いてから、七つ目の封印を開く前に本当の大災難の前に神は勝利を得る者を取り去られ、六章の1節と2節で一つ目の封印を「白馬の福音」と説明するようにこれは最後の勝利者を神によって、取り去られるー要するに神は最後の勝利を得る福音を述べ伝えたいと言うのです

  ヨハネの黙示録の第四章から十九章まで、終りの一週の怖さを述べ、前半の三年半と後半の三年半に分けられる。一旦敵基督はダニエル書9:27彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。

あっという間に最後の人類の1週も七年に足らずに、なぜならこれはすべて1週=7年の間に起こることです。又エルサレムにある神の宮も三回目の建て直しによって、1週の前半の三年半の間に建て直す。神の宮の再建を見る時に人類に与える時が近づくことになり、福音を述べ伝える以外にも何をやっても時間の無駄ばかりになる。

  七つ目の封印の内ににある一つ目の封印は白馬の福音と言い、勝利を得る福音の述べ伝えであると言いますが、一般の救いの福音と異なって、これは全地のクリスチャンに向けて述べ伝える勝利を得る福音である。教会に長く居られる方でも勝利を得る福音を聞いた事がなかった。勝利を得る者と成りたい者であれば、神の言を受け入れなければならない。

マタイによる福音書7:21わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。聖書を最初の創世記から最後のヨハネの黙示録まで読めば、よく神の言われることを理解できるはずですが、勝利を得る者と神に期待される。神も世界の終わり頃の出来事を詳しく述べた。

 6:1小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。6:2そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。

 一つ目の封印を解いてから白馬ガ出て、これが神による勝利を得るものとなります。神は世界の終わりの頃に勝利を得る者に呼び召しをかける。御霊は七つの教会にむけて述べた言葉が同じである。耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には……二千年に渡ってきた教会にとって、神は貴方が救われるだけではなく、勝利を得る者になるように期待している。  

  テモテヘの第一の手紙 2:4神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。2:5神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。                                             この一匹の白馬が出てきて、勝利を得る福音を述べ伝える為であるが、この世界の終わるまでに際し、多くの勝利者がでてくるだろうー「勝利を得てから又勝利をする」 。

神はこの地上に一人の新婦を得られる為―新婦とは、即ち教会であるが、勝利者となる聖徒に神としては一つ居所を得られる;ペテロの第一の手紙2:5この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。世界の終わり頃に近付く時に神は多くの僕を起こして、信者が勝利を得られるように人々を導き、そして主の福音を述べ伝えられるこそ、頑張って上って行くのです。これは一つ目の封印が解かれた。宣教士から勝利を得る福音を聞いた事があれば、これこそ「白馬福音」と言います。今の教会では、信者に救いのみ力を入れて伝えるが、勝利を得る福音を述べ伝えていない。聖書の言葉によると神の御心が救いだけ満足しないで、勝利を得られるものになりなさいと期待する神の愛である。洗礼をうけての救いがただ入会の申し込みだけであり、本当に勝利者になれば卒業したと言えよう。                                         

  聖書には勝利を論ずる意味はサタンを滅びや何か消滅すると言う意味ではなく、勝利を得ることを指して言うのです。神は地上にもっと多くの勝利者を得られること意味するのです。聖書による主イエスの教えをみましょう;

マタイによる福音書28:18イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。28:19それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、28:20あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

  上記の聖書では主イエスによる教えですが、使徒達が派遣される前に主は次のように述べました;「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。」

よく理解してください;この権威がどれほど大きいだろう;今の西暦2010年ですが、これこそAfterDominionと呼ばれ、全世界の西暦計算方法は主イエス・キリストの生まれてから計算されたのです。だから主イエスは王となって、今日2010年まで、これからも永遠に王となる。「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。」

 主イエスは使徒達に言いつける前に、先ずこの権威を強調されたので、続きの事がどれほど重要であるか・想像がつく。先ず

第一:それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として。

 我々は主の救い福音を述べ伝え、すべての国民を弟子とすることによって、募集と言う。

第二;父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、申し込みと言う。

 聖書にある主イエスの大使命は多くの教会が申し込みまでしか語らなかった。次の主の教えことを完全に置きっぱなしにした。学生が学校に申し込んでから、勉強を学ぶ為に入学したわけですので、申し込んでから卒業したわけではないではないか?その最も大事な第三あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

  今の教会にもっとも欠いているものは主の教えを守って教えることです。聖書を詳しく知らなくても勉強するきがなく、聞こうともしない、教える方がしっかり教えてもしない、尚読む事さえしない方も多い。教会から只悔改め、そしてイエスを信じるだけという教えが殆どですが、既にイエスを信じたので、もう卒業できたかしらー神の国に行けると思ったでしょうか?それともとにかく神が有りかいないか別にして、洗礼だけすれば、損はしないと考える人も多いのではないか?尚そうやって聖書を教えることを知らない教会も結構多いが、例え熱心に追い求めたい信者がいても、中々困惑で信仰の進み方や勉強の方法を数十年の間に知らないまま、あっという間に過ぎてしまう論議もある。

  洗礼を受け入れ救われるというのは、只入学金を払って、申し込みが終える段階で、本当にこれからですよ。聖書によって、洗礼を受けることによって、罪が清めされ、賜物を受けるであろう。

使徒行伝2:38すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。

 しかしバプテスマを受けることによって、受け入れた聖霊の賜物が神の生命よりずっと小さかったので; 

ヘブル人への手紙6:1そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、6:2洗いごとについての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。

  現実に見ると多くのクリスチャンは洗礼を受けてから、もう卒業したと思い、教会としては、どうやって福音を述べ伝える事だけ力を入れるが、神の教えや戒めを殆ど力を入れてないのではないか?

主はいわれた;あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。即ち聖書にある66巻の初めの創世記から、最後のヨハネの黙示録まで、これはすべて主イエスの教えの内容である。だから聖書を勉強するのに聖書にある神の真理や奥義を語らなければならない。これこそ教訓―神の教えで、即ち、学校に入学金をはらって、次に授業を受ける。学生が学校に来て、授業を受けて、そして覚える。その後、教えられることに従って、先生から出す宿題をしっかり勉強し、更に練習を繰り返すのです。先生としての責務は学生に授業を教える以外に、どうやって守れるか?彼らを手伝うようにする必要が有ります。教えを聞いてから実行に移るこそ意義が有ります。クリスチャンにとって最も大事なのが福音を述べ伝える事です。

ヨハネによる福音書15:7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。15:8あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。

  上記の主の言葉によると、「わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」

  常に一つの困る事に出会いますが、兄弟達のお祈りの時にいつも「主よ願わくは私達と共に居るように」とお祈った。お聞きしたいですか?主はなぜ貴方と共にいなければならないでしょうか?もし今日貴方が引っ越しを予定するが、荷物も梱包済みで、引っ越しセンタのスタッフもお見えになって、この時に、いきなり誰か来て、一緒にユニクロに行きましょうと誘ったら、貴方は行けるでしょう?勿論、断るでしょう。これと同じように、神には神の計画が有り、もし神は自分のことで忙しいが、貴方も自分の事しか念頭がない。その場合、神は貴方と共に居られますか?勿論、出来ないのです。もし神と自分を共に居たければ、神の条件にははっきり書いてある―第一:それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として。第二;父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、第三あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

 

  そして第四;彼らに従えるようにじろじろ守るひつようがある。貴方さえこの四つのことを守って行えば、神は信実であり、全能者であり、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた主ですので、必ず貴方と共にいるではなく、神の計画の中に貴方の存在が承諾される。

  いつも、デパートに行くので、主よ私と共に居るように、また引っ越すので、主よ私と共にに居るように、と主に意味のないお祈りをする。貴方には自分なりの人生目標よ方向があって、主にも主の計画がある。主の計画がはっきりしているので、主と共に居たければ、主の側についてこなければならない。ここで教えて下さる四つのことにつき、最も大事なのが「教えと守り」です。

  今の教会は恐らく行って、すべての国民を弟子として、教会も父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施したが、いたいっさいのことを守るように教えようとしなかった。だから今の教会の光景が難しいだろう。信者が洗礼を受けてから、卒業したことに等しいのです。学生が毎日学校に行っても、授業内容がなく、只音楽会や同学会、踊ったりするなど、数十年の教会生活があっという間に過ぎ去った。と言う私達の光景は正にパウロの言われたとおりに;

ヘブル人への手紙5:12あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。

次の聖書を読みましょう

  ヨハネの黙示録6:2そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、―ここで弓だけ見たのだが、矢が既に射たが又目標を命中したので、次の言葉があった。また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。

  「勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。」ここから単に救いを得るものを指していうだけではなく、勝利を得るものと言うのです。

聖書はヨハネの黙示録の二、三章にある2:7耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。勝利を得る者は、2:11耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。2:17耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。

  よくヨハネの黙示録の二、三章を読めば、分かるように神は探しているのは勝利を得る者であり、この二千年以来、七つの教会の発展光景を詳しく説明され、最終的に求めているのは勝利を得るものです。

 

  ヨハネの黙示録6:2そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。

  上記の聖書予言によって、終わりの1週に突入する前に、神の教会は神に仕える一群の僕が出て;それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として。父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

  だから神は言われた;「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。神さえ私達と共に居れば、すべてのことが旨く行くしかない、なぜなら神こそすべての源である。

  旧約聖書の列王記と歴代志を読み、誰か主の目の前に悪をおこなった王のことですが、敵に侵略され、戦争がおこって、必ず敗戦で、酷い目にあわされる。ご提案ですが、列王記をもう一度詳しく読んでください。読んでから、自分にはなぜ旨く行かないことに気がつくだろう。主の目の前に悪をおこなったことではないか?物事が旨く行かないことに大部分の人は自分の方法で物事を解決するが、実に言えば、一つのことだけ;「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として。」「父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、」「あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように」「教えよ。」見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

  以上の四つの事を全う出来れば、主は必ず私達と共に居る。もし三つだけで如何でしょうかと思えば、主は四つと言われたので、いい加減できないのです。 神の家で、授業を行うのに、教えがなければならないのです。自分の教会において、神の計画、神の真理、聖書の教え、正確に説明し、別の教会で言わない言葉や言えない言葉などを気にしないで、自分の教会で全部分かるようにしなければならない。兄弟達 神の教えと戒めを守るこそ、勝利者こそ表われるのである。

  六章2節にある白馬が出て、それは勝利を得る者で、教会が勝利を得ることによって、主の再来につながる。前で論じた七つの教会のことですが、神は七つの教会の中から勝利を得る者を求めているので、神に必要なのが勝利を得る者です。役に立たない仕えを行っても意味がない。クリスチャンにとって暮らしの目的は勝利を得る為にある;神の家にも

必要なのが勝利を得る者です。

  6:3小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。6:4すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。

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  昔 地上から平和を奪い取ることを許されに対し、よく理解できなかったが、ニューヨーク

のツイン・タワがテロによって襲撃され、壊されてしまったことによって、戦争が勃発し、平和を奪い取られた。人と人、国と国の間に平和がなくなる。今の世界では、無差別攻撃というテロ組織のポリシに残酷と恐怖を人々に堕ち入させる。旧約聖書のダニエル書による記載があります。

ダニエル書9:27彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。

上記の内容によって、一瞬の事で、貴方の知らずの間に起こってしまうことになりますので、本当にこれから永遠の命の為に何をやるべきか?真剣に考えなければならない。貴方の現在の暮らしぶりが勝利を得る者になれるのでしょうか?自分の力によって、実を結ぶことができないことを知ってますか?又勝利を得ることもできないのです。

 

詩篇20:7ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。
  ヨハネによる福音書15:1わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。15:2わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。15:3あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。15:4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。15:5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

  1週間に日曜日しか主の教えをきかないであれば、聴いた時に心が灼熱で、翌日になってすっかり忘れてしまい、又心が打たれて感想を極めるが、仕事場に戻ると又感動が消えて世間の波に呑まれてしまう。この様に数十年のクリスチャン暮らしを繰り返し、結局一生このままで終わってしまう。これも勝利を得る事ができないし、実を結ぶことも不可能で、水泳で世界のチャンピオンの北島様が1週に1回の練習だけではなく、それは殆ど毎日の練習をし、その極限まで挑戦し続けることによって、一秒間の何分の一に勝利の世界に挑戦するのです。

  先ほど一つ目の封印を読んで、白馬が出来た事がわかったのですが、二つ目の封印で

赤い馬が出てきた、地上から平和を奪い取る。一旦白馬にある勝利を得る者の数が満足したら、赤い馬がすぐさま出てしまう。

  6:5また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。6:6すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。

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  一旦大規模の戦争が起こって、そして長引くと結果として国民に不幸を与えることになる。戦争に依って物質が消耗され、日常用品が高くなって、買えなくなる。三つ目の封印によって、黒い馬で「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。一デナリは戦争前に小麦十ます、三十ますの大麦が買えるが、今は同じ金で十分の一しか買えられない。インフレによって、物価が値上がり、物質が足りないので、節約すべきである。だからオリブ油とぶどう酒とを、そこなうなと言われた。今は三つめの封印の時期がまだだと言える。

  6:7小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。6:8そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。

  「つるぎ」は戦争の事、「ききん」は物質が乏しい 「死」は科学武器による伝染病、「地の獣ら」とは、聖書には解釈をしていないので、ここで勝手に解釈しません。只覚えときましょうー四つ目の封印が解かれた時に野獣も人間の死亡に係る事になる。

  聖書による平和を奪い取る言葉について、完全に正しい理論で、戦争がおこって、長引くと消耗戦争に入り、物質が不足し、物価が高くなる事が当然である。しかし2千年前に書かれたヨハネの黙示録ですが、通貨膨張、インフレまで熟知するのは神しかできない技であり、特に通貨膨張、インフレ等の知識と実際が起こったことも、最近この50年間の事です。聖書は非常に奇妙で2千年前に書かれたが、2千年後に起こることを見たように感じさせられ、又その日になって、本当に「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。

  又彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。要するに四つ目の封印が解く時に地上にある人間が四分の一も死ぬことになる。これも序の口ですが、その後の災難がいかにも恐ろしいもので、だから聖書を信じ、又真面目に読む人であれば、この災難と神の怒りから逃げ切る事が出来る。

ローマ人への手紙5:8しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。5:9わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

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   夏の台風は襲ってくる時に津波や土砂氾濫が目立つが、気象情報や警告お知らせを聞いた貴方がもし海辺や山に居れば、どうする?勿論安全な場所に移ることになると思いますが、そう言ったお知らせを信ずるからだ。しかし聖書の言信じていない多くの人が宣教師の福音を聞いてもピンとこないし、信ずるともしない。またちっとも気にしない;主はこのような人類心理について何を言われたでしょうか?

マタイによる福音書11:16今の時代を何に比べようか。それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、11:17『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』と言うのに似ている。

  子供は遊びをしながら笛を吹いたが、誰も踊ってくれなかった。ちっとも自覚がない。聖書による歴史の証言が多く立証され、考古学による調査研究も聖書を翻する事が出来なかった。聖書による大災難の予言を聞いても反応しない多くの人に対し、なにを言おうとしたら宜しいでしょうか?兄弟達 もしこのままに全然気にしなければ、主の再来の時に悔改めようとしても間に合わなくなるので、多くの勝利を得られないクリスチャンでも火の池に投げ込まれることになる。これは断固そして言いかかりではないのです。次の聖書をもう一度よみましょう;   

ヨハネの黙示録2:11耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。

既に説明したが第2次死的害と第2次の死が異なる意味を持つのです。「第2次の死」とは、肉体が死亡した後、霊魂が永遠の地獄の火と硫黄の燃えている池に永遠に投げ込まれる。「第2次死的害」とは地獄の火の池や真っ暗所に入れられ、最長千年になる。

  本書の作者の理解ですが、クリスチャンを裁くことについて、刑期が長いと短いがあり、肉体世界で良し悪しの行為によって、裁かれる。そして刑期の時間も異なる。神を信じて、洗礼を受けたクリスチャンであれば、行いがよくなく、悪を行った等が有れば、最低なクリスチャンとして、最長千年の火と硫黄の燃えている池の刑期にされるだろう。

  しかし第二次の死は主イエス・キリストを信していない人であれば、霊魂が永遠の地獄の火の池に永遠に投げ込まれる。

 

ヨハネの黙示録21:8しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。

 だからクリスチャンは必ずしも火の池にはいることがないと思わないで、慎んだ方が宜しいかと思います。

 もし教会でクリスチャンも火の池にはいることがあると言わなければ、聖徒達が毎日のんびりをし、上進しないで暮らし、主の再来の時に主は『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』と言われるだろう。そして

マタイによる福音書15:14彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。

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  一つの諺があり;「遣う学問が必要な時に自分の不十分さを分かる」。機会が有る時に見逃しやすいですが、金の稼ぎを見逃しても、餓え死にならないので、泣きを悲しんで泣きを悲しんで歯ぎしりしている?ことがないでしょう。しかし神からのチャンスを大事にしなければ、審判の日に必ず泣きを悲んで歯ぎしりするだろうと思います。神の設ける戒めの標準に合格できるかできないかにかかっている。

  通常学校の試験題目に教科書以外の問題を出さない事になっているが、有っても1問や2問だけで、其の他殆ど教科書以内の問題だと言えよう。同じ事で、主は再来の時に標準教科書が聖書であり、其の他の参考書など一切要らない。聖書の中に何か言われるかと言う質問ではない、聖書の教えをきちんと守ったかどうかについて裁くのです。

 第四の封印を解いた時、そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。

  主の再来が近づいている、SARSや世界の地震などあくまでも序の口だけで、本当に怖いのが四つ目の封印が解かれる時に地球上に4分の一の人がしぬことになる。

最後まで神はこの地球のことをしつける時に全地の人間が三分の二の人が死ぬことになり:ゼカリヤ書13:8主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。13:9わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。

三分の二が死ぬことになるを思うと戦慄するだろうが、三分の二とは66億の三分の二は44億のひとが死ぬことになるのではないか?

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  神の裁きの予言を見て、全人類の三分の二が死ぬとこになるが、神の子供と成る我々は只早くも主を愛することが最も大事だと思います。其の他の努力なら空の空となる。事実上、大災難前の時に取り上げられる合格のクリスチャン以外に誰一人もこの大災難で苦しみから逃れることができない。神は言われる「わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。

  ゼカリヤ書の14章によって人類最後の戦争の模様を述べるが、人類の最後の1週=七年の後半に主の再来になる。主はその日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ。そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって、東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り、

 

ゼカリヤ書14:12エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。

 

上記の聖書を読んで分かるのはこれが一般の戦争ではない。勿論核戦争でもない。主は核戦争を人類にさせ、滅亡させることがないだろうと思います。この戦争が終えて、この地球が後1千年を使い続けるのですので、主は超自然の力でこの戦争に臨むのです。「彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。」

 

  その肉は腐れとは身体上の肉が直接溶けてしまうことで、ではどうやって目はその穴の中で腐れのですか?まさか戦争が終えてから、死んだ人の目から眼を掘り出すでしょうか?目玉がほりだしていないのに、どうやってその穴の中で腐れだろう?これも当時のヨハネの時代の人が書かれても理解のできない事でしょ。しかし今の時代の科学なら可能なことです。又

舌はその口の中で腐れる;これでも彼らはなお足で立っているうちに起こることです。要するに戦争が起こる時に神は再来による表われる栄光で、敵の全軍を消滅してしまう。これこそ人類最後の戦争となり、この戦争の前に、地球の人口が既に三分の二の人が死ぬことになる。

その残りの三分の一につき、下記のようになる;「わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。金は摂氏千度以上でなければ溶ける事が出来ないので、予主の言われる事は非常に苦しい試練と予見できる。

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  ヨハネの黙示録6:9小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。6:10彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。6:11すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。

  全地には四つ目の封印が解かれてから四分の一の人が死んだ。ところで、五つ目の封印が解かれる時になんの災難もないのです。これら「神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。」彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。と主に催促している。

 ここで注意する所は、これらの人々は何を指すのでしょうか?「神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。」これらの人々は、主が再来の時に地上に生き伸びる聖徒であり、敵基督であるサタンの迫害によって、殺され殉道者となった。これらの人々は歴代の聖徒まで含まれていない。聖書による説明がはっきり言ってある。彼らは告訴する対象が「また地に住む者に対して、」です。その意味は殺され祭壇の下にいる霊魂が自分を迫害した人でも地上に生きているので、現世に生きる悪者がどうやって歴代の聖徒を迫害する事が出来るでしょう?だから確実に言えるのも五つ目の封印で、大声で叫んで言ったの聖徒達が、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。と主に求める人たちが、終わりの1週の時に主への忠実を堅く保って忍耐が強い勝利を得るものであることを指して言うのです。

  6:12小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、6:13天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。6:14天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。

  上記の聖書による予言はその日になれば間違いなく起こるのです。勿論私達の想像を超えるだろう。

「すべての山と島とはその場所から移されてしまった。」これは物凄い地震であろう、この地震に依ってどれぐらいの人が消滅されるかしら?

6:15地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。6:16そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。6:17御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。

兄弟達大災難がちかづいているが六つ目の封印が解かれても序の口としか言えないでしょう
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大地震が物凄くこわいですが、只ひと山の移動だけで、済んでしまう。もし海まで移動されるようになれば、島と島が移動され、フイリピンと台湾が一つになって、どうなうかな?どれぐらいの人が死んでしまうだろう。この節の聖書の形容が非常に特別で、「地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。」想像してください;恐らく建物が殆ど潰れてしまって、ほら穴や山の岩かげに、身をかくすしかできないだろう。

  現在幾ら富豪と世界ランキングされてもその日に何の役にも立たない。あっという間に消えてしまう。兄弟達

地上の富の為に頑張り続けるか?それとも神の国の為に頑張る。その前に早く神を認識しなければならない。願わくは神から憐れみが有るように助けてください。
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